九月四日(木)曇。「ありがとうございました。福田康夫です。」とメール届く。昨年九月の首相就任から今日までホント面白さに欠けるメール続く。
日本の古人の好んだ言葉に、「永遠の今」という表現があります。「過去のものは古いと蔑み、今のものは新しいと愛でる、しかし今の新しさが真に新しければ、その新しさは必ず時間を貫いて、いつまでも新しい。」 1万年前の人類は、今と全く同じ太陽を見ています。海辺へ打ち寄せる波は一つとして古いものはなく、常に新しい波です。千数百年前の日本人と今の日本人は、今も昔も変わることのない、常に新しい伊勢神宮を見ています。太陽と海と伊勢神宮、この三つは、宇宙、自然、人が創ったもの、この違いはありますが、永遠の今です。私は、政策を立案する際、この「永遠の今」を想ふうことがありました。
ともはや神懸かり。晩に商店街の集りあり末席を汚し談義、懐石料理いたゞく。会に参加の知己のお二人とバーYで鼎談。三更に至りバーSで独酌。
▼神懸かり、といへば経済学の奇才・張五常教授が二日の信報に寄せた「窮孩子的玩意與日本妹的前途」も出色。關愚謙さんと同じく北京五輪に関して欣喜雀躍で信報に綴り続けた五常教授、とくに卓球に関する二度の寄稿に称賛とともに「教授が卓球?、何処までわかつてゐるのか」と懐疑もあり。五常教授それに答えるは、1951年のある日の黄昏、西湾河の太古ドック埠頭(現在のTaikoo Place)の工人倶楽部で五常教授がぶり/\いはせながら卓球で遊んでゐると隣の卓球卓にちよつと珍妙な動きで卓球する少年あり。そいつに何度か基本を教へてやつたが三ヶ月もすると、その少年は自分を打ち負かすほどに。で親友になつたこの少年こそ後年、中国卓球で中国全土に名を馳せた容國團(1937〜1968)。で西湾河の貧民区にそだつた自分たちの少年時代の話しから始まり「福原愛現象」について。五常教授曰く、先日「福原愛現象」に言及したら(8月26日の信報)自分を嗤ふ反響、ネット検索で探れば凄まじいものあり、と。で教授復た、福原愛は誰が何と言はうと自分は彼女が幼い頃から今の今までずつと、あの笑顔絶やさず、が可愛いのだ、と誉めちぎり。問題はあの活発さ、朗らかな心をずつと持続することがいかに難しいか。しかも卓球だけでなく流暢な中国語といひ芸術への関心といひ、福原愛チャンは教授にとつて永遠のアイドル。で今度は自分の書法の話となり福原愛チャンも書道を嗜めばきつと立派な書家とならう……ともう何が何だかわからない気持ちの高揚。すごすぎ。
▼タイの政変でニコンなど企業は「不要不急の出張は控へる」やう通達、つてSARSの時もさうだつたが、そも/\不要不急の出張なんて最初から出張しなければ良いのに。
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