富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-08-15

八月十五日(金)盂蘭盆會。終戦記念日。快晴。筲箕灣の天后廟に賽す。廟の並びの安利で魚蛋河粉食す。早晩に尖沙咀。ペニンスラホテルのバーでドライマティーニ二杯。バーテンダーのP君にタンカレーのジンでNo.10といふ新種があるが試します?と尋ねられ一杯飲んだが鳥渡、マティーニにはフルーティ過ぎで甘い。二杯目は普通のタンカレーで。Z嬢と日本料理・京笹に食す。予約で満席だが午後六時の口開けで小一時間だから、と席を得る。オニオンスライス、ポテトサラダといつた小品一つとつても何か一つ気を利かせ品数も多く(厨房はかなり狭い)壁一面のお品書きはもう何年も変へてをらぬから諸物価高騰の折り店も大変だらうが大したもの。太空館で(夏の映画祭の特集で)市川崑監督の映画「満員電車」(1957年、大映)を観る。一流大学出のサラリーマンが川口浩(主演)、会社の同僚で好演が船越英二、主人公の父母が笠智衆杉村春子。コミカルな風刺映画、徹底的にコード化され単調で早口な台詞、それをこの役者たちは演出としてこなしてゐるのか地の演技下手か(笑)、いづれにせよ可笑しい。が何より見事なのは就職先のビール会社の社長・山茶花究と総務部長・見明凡太朗の絶妙な掛け合ひは日本の喜劇の真骨頂。それにしても日本でも今どき小屋に掛かることも珍しい戦後のこんな喜劇映画が香港の尖沙咀の一等地の太空館で見られる、而も8割は客が入りくす/\と笑ひ続け(笠智衆などスクリーンに映る前に息子への手紙の朗読のナレーションが入つた段階で客は笠智衆とわかつて登場に期待が高まるのだから)大したもの。湾仔にフェリーで渡り波止場隣地の狗狗公園(っと勝手に呼んでゐるが)漫歩。十五夜の月を愛でる。
子安宣邦著「『近代の超克』とは何か」(青土社)について先日の朝日新聞の書評が取り上げ(その書評の切抜きを無くして詳細がないが)件の「近代の超克」の座談会と昭和18年刊行のその書籍について粗そ理念を紹介したあと書評は竹内好の「近代の超克」論を取り上げ竹内は西洋の近代主義を超えてゆくものは「日本の」ではなく「アジアの」思想であることを述べ……といつた記述があり果たして竹内好は「近代の超克」のなかでそんな主張をしてゐたかしら?と気になり竹内の「近代の超克」を廿年ぶりくらゐで読み直したが竹内好は彼の思想として中国や印度を含むアジア思想が西洋の近代主義に欠ける点を補完し超えてゆくといふ考へ方こそあれ厳密には「近代の超克」の中ではさういつた竹内自身の「近代の超克」を超える思想については語つてをらず。この著述の中で竹内は戦後の日本について「近代の超克」の発想に敗北感がなく、その敗北感の無さが今日の問題で敗戦によるアポリア(難関)の解消によつて思想の荒廃状態がそのまま凍結された(本来は思想に創造性を回復させる試みを打ち出すならその凍結を解きもう一度アポリアを課題にすゑ直さねければならない)とする。また今日の日本は「神話」が支配してゐることに問題があるのではなく「神話」を克服できなかつた似非知性が「自力」でなく復権してゐることに問題がある、と指摘。あらためて竹内好といふ人の戦後のとらへ方が正鵠を得てゐると感じ入る。ところで手許にあつた冨山房百科文庫の「近代の超克」は1986年3月に仙台・八重洲書房で入手と記述あり。20余年前には冨山房のこんな本が容易に入手できる時代であつた。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

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