富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-08-14

八月十四日(木)快晴。新暦も盆の入りなら旧暦は丁度一ヶ月遅れで七月十四日。盂蘭盆会。午前中8kmほど走る。酷暑だが立秋も過ぎ木陰やヴィクトリアハーバーの湾岸の風は涼しく快適。昼にZ嬢と中環。鏞記にて昨晩来港のI君夫妻と昼食。焼鵝も肉厚が好き嫌ひ別にして鏞記の名物で夏の鵝は痩せ過ぎと避けられるが余は個人的にはこれを厭はぬ。苦瓜と牛肉の黒胡椒炒め、変哲のない料理だが美味。揚州炒飯もやはりこの食肆のは格別。話題も尽きず甜品までゆつくり二時間半。ビールと紹興酒で昼からいい気分。蔡瀾氏の尊顔に拝す。氏は蘋果日報連載にて張芸謀北京五輪開会式演出絶讃。またアタシらの隣席に公民党の梁家傑議員が氏の法律事務所の若手連れ昼食。なぜか梁議員に余は識る顔で笑顔目礼で互ひに挨拶。晩にハッピーヴァレイ。益新美食館。香港に1990年8月24日、偶然にも余と全く同じ日に来港し居住のK嬢ご帰国でK氏、Y嬢、Z嬢と食事会。鏞記も美味いが「ハッピーヴァレイの」益新もやはり格別。「お久しぶりで」と知己の給仕長、渣甸山の店ばかり数回続けてしまつて、と余は言ひ訳しつゝ「彼方より此方がサーヴィス含め秀逸」と誉めると給仕長「渣甸山の店と違ひ名物の焼鴨等出せぬから」と謙虚。盛況で年末には湾仔で少し広い店に移転の由。Veuve Clicquotで乾杯して、シャトー=オーブリオンのセカンドワイン、Ch Bahans Haut-Brionの03年(飲み頃はまだ/\先か)。
▼話題にも全くならぬが福田内閣メールマガジン。福田君が「声なき声を聞く。」と(本日の第43号)。
日本国の代表として、オリンピックを戦う選手に直接聞こえてくるのは、会場で応援してくれる人たちの声ですが、実はこの選手の皆さんの耳には、日本で応援している、それもまったく自分の知らない人たちの声援も、きっと聞こえているのだと思います。私は、世の中に聞こえてこない声の中に、多くの国民の気持ちが込められていると思うときがあります。この声なき声をどうしたら聞くことができるのか、そして、どう応えていけばよいのか、それこそ身体全体を耳にして、聞かなければと考えます。
と訴へる。大きな誤解。北京の北島選手への遠き祖国からの応援は「声無き声」なのではなく日本で「北島、頑張れーつ!」と声援が北京の北島君本人に「音が聞こえない」だけ。本人にはその日本中からの声援が聞こえてゐるはず。「声なき声」といふのは本来は(岸信介を除けば)平和を願ひつつ戦争に荷担せねばならぬ銃後の母の心情といつた「声に出せぬが心の底からの願ひ」であること。福田君の期待は世論や支持率などには出て来ぬ「実は福田改革の実現を願つてゐる」声なき声なのだらうがご本人がその「声なき声」を聞かうと思つてもその福田君への期待が小さいのだから(ちなみに余は期待してゐる方だが)いくら耳を澄ましても聞くに能はぬだらう。聞こえたら残念ながら幻聴かも。ところでこの「声なき声」といへば当然、岸信介の安保改正を支持するであらう「声なき声」発言があるわけで「声なき声」とは政治的には「本当は聞こえてこぬが聞こえたことにするもの」の代名詞のはず。それに福田家にとつて「声」と言へば父君の「民の声は天の声というが、天の声にも変な声もたまにはある」の一言もあり。アタシが福田君だつたら側近がこの原稿を見せたら「キミ、声なき声、って岸さんのアレだし、僕の家では父の「天の声」があるのを知ってるだろう。それでコレかい? それでなくても暑いんだから、これ以上ボクを不愉快にさせないでくれよ」と側近を叱責するところだが……。まさか福田さん本人がこれを書いてゐたとしたら更に驚くばかり。

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