富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-08-02

八月二日(土)朝どんよりとした曇り空から雨となる。日なが読書と決め込む。小雨模様となるが海岸に点在する屋根はビーチチェア二つを優に覆ふ大きさで涼しいくらゐで雨を避けるに能ふ。昼はホテルの食堂でピッザなど食しモヒートを二杯。午後になるとピーカンに晴れ海岸でまた読書して微睡む。夕方にスパで按摩。燈刻ホテルのシャトルバスで市街に出て一昨晩と同じHai Cafeで夕食。旧市街ばかりかホイアンの市街をかなり広めに漫歩す。日が暮れると夏は路地や縁台など出して涼を愉しみ子どもらが路上で遊び、何処の家も開けつ放しで茶の間まで丸見え……あたしらが子どもの頃は日本でもこんな風景が当たり前だつたもの。今日は本を3冊も読んで、さすがにこの旅に持参の本はあと一冊となつてしまひホテルの図書室で本を漁る。池田大作谷口雅春の著作がまづ目に入るのはリゾートホテルでは珍しからず。数冊を部屋に持ち帰り寝しなに沢木耕太郎「一号線を北上せよ」講談社文庫を読む。一号線はベトナムハノイホーチミン結ぶ国道一号線のことで当地で読むには「ならでは」か。自分が旅慣れてゐないとか、その場所を知らなければまぁ肩の凝らない多少冒険つぽい紀行文学で読んでゐられるのかもしれないが、アタシは「深夜特急」の香港、マカオ編を読み椅子から転げ落ちるほど「なんだ、これはつ?」と驚いた。香港でもたか/\佐敦や油麻地を歩くだけで大仰に筆が滑りマカオでの博打もまるで「俺の空」の安田一平。それが若気の至りならマダしも、またベトナム戦争中とはいはぬが統一後の混乱収まらぬ70年代ならまだしも、2002年だかのベトナム旅行。冒険にならうはずもなし。ホーチミンに着いてタクシーでマジェスティックホテルに投宿して路上でフォーを食つて市場まで出かけ……がまるで感動の旅。ホイアンでは中国のお寺を見学するつもりが日本人の墓に辿り着いたことがちよつとしたエピソード。国道一号線の北上はカフェ(安旅行代理店)で購入の縦断バスチケットによるものでハノイでもホテルに戻るバスに乗り違へただけで一つの物語。この程度のことならせゐ/\日記に綴つて終はりだらう、とアタシなら思ふしアタシでも書き残すにも値せぬと思ふ些細なことまで書いてしまふから=活字にして売文できるのだから、さすが大家。
草間彌生自伝「無限の網」作品社。前衛芸術家の自伝で2002年初版が05年で十刷といふのだから近年の草間ブームかの如し、だが草間彌生といふ人が芸術家である以上にどれだけプロデューサー的な、また自らの作品のマーケティングまで出来る人か、がこの本を読めばただ/\納得。
福岡大学で独逸現代史教へる星乃治彦教授の「男たちの帝国」岩波書店(2006年)。朝日新聞香山リカによる書評読み近代独逸のヴィルヘルム2世からナチスへのホモソーシャルな社会史。星乃教授が自ら
石原慎太郎東京都知事と「同じ」日本人であるというよりは、「同じ」同性愛者であるヴォーヴェライト・伯林市長を「同じ」と感じるのを選択したい。
とこの男気?が気に入つた。第3章まではさういふ独逸の社会史なのだが第4章(戦後の憂鬱)は戦後の世界的なゲイ解放に向けての鳥渡、ビギナー向けで第3章までのノリと相容れず。
▼デヴィッド=グレーバー著(高祖岩三郎訳)「アナーキスト人類学のための断章」Fragments of an Anarchist Anthropology(以文社)。
人類学がアナーキズムを伝播するもっとも明白な理由は、それが人間性に関してわれわれが手放さない多くの通念が真実でないことを、否応なく証明するからである。アメリカ人が自明だと考えているのは、国家的権威と警察がなくなれば、渾沌が支配する以外ない、間違いなく人びとは殺戮しあうだろうということである。人類学はそうでないことを証明する。人類学は、国家なき社会において相互殺戮が起こらない無数の事例……そして国家があったとしても、ことさら警察機能を果たさない事例……を提供している。さらに現存する社会の中でも、国家と警察が消失した後、さして劇的な変化が起こらなかった多くの場所を知っている。ソマリア全土で……
とグレーバー先生はとても元気。多数決制民主主義はその起源において本質的に軍事制度であつた、と。確かにね。小学校の学級会で多数決といふ民主主義の基本を教はつたが実は多数決だつて政治的にどちらに投票するか、の結論は流されるもので、それを乗り越えるのは基本的には全員が武器をもつて自衛できる前提であることはアテネやスイス的なものからわかること。

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