富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-07-31

七月卅一日(木)昨晩はちやうど「金澤」読み終はりサイゴンウォッカで酩酊し早寝決め込むつもりがさすがに列車の軋音で何度も目覚めつつ車窓から南支那海を眺めれば夜明け。続けて健一さんの「酒宴」を読み終はつたところで朝六時前にダナン到着。ホテルから迎への自動車に拾はれる。ダナン市外から海岸線に出れば海岸続き市民相手の海水浴場、中国資本からハイアットまで大型のリゾートホテルの建築現場が並ぶ。がダナンといへばベトナム戦争時の米軍の巨きな基地の町。海岸近くに米軍の軍営跡もあり。華僑が佛様祀つた五行山を眺めホイアンのヴィクトリアホイアンリゾートに投宿。朝の六時半過ぎで定刻の午後2時チェックインにはだいぶ早すぎるが朝食済ませスパで一浴し夜行列車での汗を流すと八時過ぎには朝早く退去の客の部屋が片づけられて宛てがはれる。海岸に近き一戸建てのコテージ。プールサイドでうつら/\と微睡みつつ読書。ホテルの食堂で昼を済ませ午後も読書。片山杜秀「近代日本の右翼思想」。午後遅く部屋のバルコニーに暫し寛げば葉巻が美味い。ビルスマさんでバッハのチェロ組曲を聴く。昏刻にホテルのシャトルバスでホイアン旧市街に出る。四百年の昔に日本人町、そして華僑の貿易都市。古い南洋街の旧市街はよくぞ街並みが20世紀に残つたもの。ベトナム戦争でもダナンから数キロと思へば奇跡か。1999年に世界文化遺産に指定され今では旧市街の建物の9割は土産物屋など観光業に利用されるばかりで鳥渡興醒め。Hai Scout Cafeなる食肆で夕食。自然食材系で料理教室も開いていたりホイアン川の浄化プロジェクトへの賛同などコンセプト的にチェンマイのThe Wokと似た感じ。これも所謂、ロハスか。牛肉のミンチとレモングラスなどをバナナの皮に包んで炭火焼きした料理が秀逸。それとチキンライス。と地場の魚肉のパンケーキ。ベトナムのワイン産地であるダラットの葡萄酒を始めて飲む。Vang Dalatなる品種不明の赤。確かに赤葡萄酒なのだが醸造の過程で最後、鳥渡手前で終つてしまつた感じ。晩に樋口陽一先生の『憲法入門』勁草書房を再読。今晩新月で暗闇の如し。
吉田健一「金澤」より一節。
また金澤のやうな町ならば雨が降つてゐる時のどこか寂しげな感じも取り戻せて例へば知つてゐるものに送る菓子を頼みに菓子屋に入つてゐれば雨のせゐで客が少ないのが外も静かなのを裏付けして菓子を並べたガラス箱が雨の日の博物館を思はせる。
一瞬、とても酔つてしまふ。でもう一度読み返すと何だかよくわからない。で三度び読むと健一さんらしい感性と思ひつつ、やつぱりこれを書いてゐる時も酔つてるよね、と。この「金澤」と言へば昨日久が原のT君よりメールあり。T君も数日前に丁度吉田健坊の『金澤』読み終はつたところでございます、と。友とはかういふものか。先日、築地のH君談で歌舞伎座海老蔵君の芝居について書き留めたが客が入つてナンボ、の興行としての演劇にとつて海老蔵が格好良ければいひ、といふ点を強調したが古典芸能評をする久が原のT君にとつては歌舞伎芝居に古典やら規範やらが関はる以上その筋を通す評論としての言説があつてしかるべき、と。(詳細はここに綴らぬが)御意。そのメールでのやりとりで澤瀉屋の芝居についてのT君の言及のみ忘備録的に綴つておけば、
やはり千本櫻は時代物で、踏むべき規格といふものがあり澤瀉屋は好き嫌ひは別としてその規格を「踏み外しながら」彼自身の規格を作つてしまつたところに意義があり戦後の「時分の花」と単に言つては済ませぬもの。殊に澤瀉屋の疾走感。自分で自分を鞭打ち続け、急速なテンポで終末に追ひ込んでゆくうちに「ある種の真実」の前に猿之助が自己を低め理想に向かつて邁進して已まないストイシズムの輝き。「求道者としての猿之助がドラマの下位にゐるからこそ、ドラマ自体の世界観が競り上がる逆説」。
高野聖についても興味深き話を聞く。
片山杜秀「近代日本の右翼思想」について。気鋭の社会思想史の研究者だが最初に読んだのは音楽評論であつた人。で近代日本の右翼思想を結局、何がダメでダメになつてしまつたのか、をまとめたのがこの本。郷里は橘孝三郎井上日召がゐた右翼的風土で育つたあたしは橘僕や北一輝の著作集まで読んでみたが幸ひ?右翼になれず今日に至り、右翼思想がダメになつたのは近代の明治からの天皇制そのものにあるのではないか(天皇そのものでなく天皇「制」に)、と密かに思ふ。天皇「制」に頼つてしまつたことで思想として立脚せず。著者が書いてゐる中で最も興味深かつたのは権藤成卿を引いた「社稷」について。社稷(しやしよく)とは原始的な自治村落共同体の理想型。ふと黒澤明の晩年の思想はこの社稷に辿り着いてゐなかつた、と思つたが、社稷さへ成立してゐれば人間には近代的な国家も法律も軍隊も工場も要らない、小共同体を基本に農業や漁業をやつて衣食住が満たされる社会。社稷は「アジア的専制権力の保管物であつて、下級構造たる村落共同体の内部原理に干渉せずそれを「自治」にまかすやうな関係こそ、専制的国家の権力の源泉」(渡辺京二)のニュアンスから脱却されない概念だらうが、民衆は無政府状態で放つておけば「暴民」となつて「争闘」するものであり、それを抑へ「王者」の前に跪かせておくための最低限の仕掛けが「社稷」で、社稷の約束する無変化で非政治的なユートピアの時間は何よりもまづ静態的服従の持続といふ統治のエネルギーと重畳する……といふ記述を読むと、まさにアジア的な政治統治機構がこれぢやないのかしら、と思へてならず。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/