七月廿八日(月)歇暑。Z嬢と午前七時前に香港国際空港。チェックインカウンターのすぐ後ろに手荷物検査場が拡張され北京五輪警戒実施中か(と書くと北京五輪を警戒してゐるやうで可笑しいが)と思へば従来の手荷物検査エリアの改築工事の由。ラウンジで軽く朝食をとり新聞読み。CX767便で一路、越南のホーチミンへ。現地時間で午前十時過ぎ到着。ホテルの送迎車でホーチミン市街へと向ふ。道路にあふれるバイクの群れ。ふと思へばバイクに跨がる四十代以下の世代といふのはもはや越南戦争を知らぬ世代か、と思ふと感慨深いものあり。実は私は今回が初の越南入り。だがサイゴン陥落の朝、母にNHKのスタジオ102のニュースで(確か井川といふ笑はない印象の強いキャスターだつた記憶があるが)この日は世界にとつてともて大切な日になるのだからしつかり覚えておきなさいよ、と言はれたもの(昨日、母と電話で話してゐてこの話をしたが母は覚えてゐなかつたが)。市内のサイゴン河に面したホテルマジェスティックに投宿。最近のサイゴンはパークハイアットやソフィテルなど新参の高級ホテルも少なくないがホテルマジェスティックといへば言はずもがな私らの世代には開高健。週刊朝日の特派員でサイゴンから記事を送つた彼の常宿が此処の103号室。旧館のベランダから河を見下ろす4階の部屋はフロントでもポータにもお世辞もあらうが「格別いい部屋ですよ」と言はれる。眼下の川沿ひの道路が高速道路や郊外のバイパス整備の遅れたこの大都市で市内を貫通する幹線道路のため自動車の騒音はひつきりなしでかなりのものだが、部屋はしつかりとしたクラシック&コロニアル調の内装で居心地佳し。クラシックな内装だが文机の傍らの壁には一応、ネット回線のジャックあり。で接続はどうするのよ?と普通、部屋には何ならかのネット接続の案内があるのに何もないから「見かけ倒し?」と疑つたらノートブック立ち上げたら即、wi-fi接続されて万事休す、お見逸れしました。旅荷を解き片づけチェックインの際にいただいたバウチャーでホテルのカフェで越南料理のビュフェで昼食。部屋で午睡。ちよつと外の暑さが気になるが(冷房は緩いのが冷え性のあたしには快適な越南だが)午後早速市内見学で出街。観光客の多い市の中心の市街地を抜けベンタイン市場まで歩き1系統の路線バスで市の西北の華人街にあるビンタイ市場へ向ふ。ホーチミンの市内観光では順当な初級コース。ビンタイ市場には帽子屋も多しと旅行案内にあり期待したがさすがに今回かぶつてきたパナマ帽も銀座のトラヤ帽子店のだから安誂へのものはいただけぬ。夕方の早めの帰宅ラッシュでバイクが日昼より更に増える。なんてこつた……つて数数多。しかも目抜き通りは道路工事がずつと続き断続的に車線削減。つひに地下鉄工事?と感動したが下水道かしら巨きな土管を地下に埋める作業とは。急激な経済成長に比べインフラ整備の遅れは深刻。Nguyen ThiepのAugustinなるビストロで早めの夕食。名前知らぬ白ワインで喉を潤しトマトとチーズの冷菜、グラタン風の蟹肉、鴨肉の柑橘ソース添へ。赤ワインはCote du Rhoneをカラフェでもらふ。食後に観光ズレした繁華街を少し散歩してホテルに戻る。気温は感覚的には摂氏廿六度くらゐ?でかなり涼しい。ところで越南ではミーチン(味精=化学調味料)がかなり普及してゐるが昼のホテルのビュフェも晩のビストロも美味いのだが化学調味料つぽい独特の甘さが舌につき、あれを「うまみ」だと云ふのがあたしには苦手な甘みにすぎず食後、強烈に喉が渇くのだ。寝るまでずつと茶を飲み続ける。上野千鶴子と辻井喬の対談集「ポスト消費社会のゆくへ」文春新書を読む。
▼中学生の時にパルコ出版の「ビックリハウス」の薫陶を受け投稿に励み高校時代は「それまで山手線で降りたこともなかつた」池袋の西武百貨店でリブロポートだとか西武美術館だとか、で赤坂のTBS会館の地下にあつたトップス&サクソンが池袋の西武にもあつたので高校生にはけつこうな贅沢で此処でお昼をするのが楽しく、渋谷も公園通りが晴れ晴れしくなるのが愉快で仕方なく十代を過ごしたアタシの世代。糸井重里の有名なキャッチコピー「おいしい生活」が実は実体のない虚無の消費世界の産物なのだ、と指摘されても実際にもう何十年も、無印に象徴されるちよつと節操のありさうなプチブル的な満足が豊かさなのだ、といふところに生活してゐる(それぢや「ロハス」をなぜ厭ふのか、と言はれると微妙なところだが)。
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