富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-06-21

農歴五月十八日。夏至。快晴。昼すぎに紅磡站。K氏、S氏と待ち合はせ正午すぎの列車で一路、広州。北京五輪に向けてのテロ対策で数日前より中国に入る列車でも香港側で乗車前に荷物検査開始。普通車が一等車で特等車(HK$40増し)に乗車。車内で無料配布の新聞はかつては大公報や文匯報と決まつてゐたが、それが明報になつてゐた。中国持ち込み可のお墨付きで無料配布が売りとなるやうでは新聞としては死に体同然。広州東站での荷物検査は二度。赤外線での検査で余の手荷物から不審な四角い小箱発見されしは東洋文庫の後藤宙外編の唾玉集。タクシーでRamada Pearl Hotelに向かひ投宿。午後遅く先に到着の数名と広州のO君らランニングクラブのメンバーとホテルロビーで待ち合はせ14名で珠江の二沙島を小一時間のジョギング。珠江岸、二沙島はまるで巴里のシテ島の如し、と褒めてはみたが気温卅数度、炎天下ではジョギングなどする十数名はかなり異色。それにしても、走りながらの感慨は、四半世紀も前に広州を(といふか中国に)初めて足を踏み入れた当時、まさか将来この珠江の川岸を友人らとジョギングなどすることにならうとは……。ホテルに戻り部屋でシャワー浴びて夕食は川國演義(天河の体育東路)。この四川料理の食肆、広州で真つ当な川菜が食せると評判になつて十年くらゐか、今では数店舗経営で繁盛続く。部屋付きの女給に勧められるままスペインのGolden Butterfly Faceといふ銘柄だつたかテンプラニーリョを飲む。食肆の出す値が108元の中国の食品問屋がオリジナルラベルで仕入れる普及酒だがテンプラニーリョが四川料理に合ふのは事実。21名で二卓、葡萄酒は八本くらゐ飲んだのか。現在は広州在住だが初めてアタシがお会ひしたのは92年にインドネシアのバリ島での空港からグランドハイアットに向かふマイクロバスの中、といふA氏ら懐かしい顔ぶれ数名が広州で再会。二次会は天河の裏町にある輪葉葉なる焼酎バーに数名で。古い低層団地群の地上階にブティックだの洒落たカフェやバーなど並び、さながら原宿か代官山の同潤会アパート風情の奥まつた一角に、このバーあり。鹿児島の大久保酒造の侍士の門なる芋焼酎。美味。三更半夜に至りホテルに戻る。
▼広州への往路車中に信報の張五常教授の連載論文読む。論文といふより回顧録。久々にコンタクトレンズ嵌めたのは良いが手許の小さい字が見えず(近眼鏡なら外せばいいのだが……要するに老眼)紅磡站前の商場の眼鏡店にて老眼鏡購入。張教授は佃農理論など業績あるが、一言で言へば「中国の開放政策を最も近くで見続けた近代経済学者」であることが最も大切。1980年の中国が最も必要としたのは実はマルクス経済でなく近代経済なのであつた。なぜか? 経済と資産を国家が掌握する共産主義国家が(その原則に反して!)その資産をどう民間に転用できるか?の答へを用意できるのはマル経でなく近経であつたこと。恩師フリードマン教授の訪中の際に江沢民氏がフ教授に尋ねた質問も資産権。資産の所有権と使用権、それを張教授は米国留学当時、銀行融資を受けて自動車購入の折に自身が註冊車主であつても銀行が法定車主となる契約で、この観念を学んだ、と書いてゐる。

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