富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿二日(木)「川一震、天下動」と普段は冷静な陳雲さんでも四川大震災では中国の今週の三日の喪で国民が地震発生時刻に黙祷捧げた時を「これぞ現代中国の誕生」と宣はれる。
中国は開放改革、資本主義、工業化、都市圏への労働人口の大規模な移住、情報化、社会開放、中産階級の登場、個人主義などここ数十年でかなり変容を見たが反面、利己主義や走貪、物質至上感などもあり、それが今回の地震で国民の心が一つとなり我を忘れ援助の手を差し伸べ警察や軍、医療機関など一致団結して災難救助に当り、我々は現代中国の4つの条件、即ち成熟、自発心、動員力と開放性並びに組織性をここに見ることができたのだ。
確かに評価すべき点もあらうが、陶傑さんは
人間性と云ふのは易しいがアジア通貨危機で香港株価や地産暴落した1998年に富豪筆頭に「獅子山下」を歌つて一致団結また頑張らうと涙したり地震で死者が四、五万人になつた時の義援など、極端な状況悪化にならねば人間性の素晴らしさが見えぬとしたら、あまりにも代償が大きすぎやせぬか。人間の生命はそれほどチープなのかしら。人間性が普遍なら、なんで豆腐で家を建てようか(今回の地震での学校など建築のいい加減さを皮肉つたもの)。災難になれば何か騒ぎ、では虚妄と云えなくもなし。
晩遅くマーラーの1番(オーマンディ/フィアデルフィア)を聴いてゐて秀和さんのマーラーに関する記述読みたくなり吉田秀和全集の第2巻のマーラーを読む。この全集本、1975年に初版が2月に出て僅か八ヶ月後で第四刷。当時の「教養」に対する勢ひのやうなもの感じる。秀和さんによれば当時、まだマーラー交響曲の演奏はオケにとつてかなり消化の難しいもので1番、9番とやうやくモノにするオケが出てきた……云々。それが1973年の記述、今から25年前はさういふ状況だつたのか。
▼台湾では総統退任の阿扁君、公費横領だけでなく2004年3月の二期目選挙投票前日の狙撃の疑惑の銃弾も再調査の由。余の日剰紐解けば
連戦君が多少有利といはれてゐたなかこの狙撃事件で浮動票が亜扁に流れて仮に亜扁再選となつてもさつぱりとせぬ結果齎すばかり。(3月19日)
数発の銃弾が土断場で選挙の流れ変へる。八時には大勢判明と言はれてゐたが七時五十分に民進党が勝利宣言。これで何が確定したかといへば亜扁総統の続投で国民党の連戦はもはや政治生命断たれ国民党のホープ台北市長・馬英九君が次期総統選挙で国民党候補となり当確といふこと。下手に今回、連戦が勝てば副総統候補に甘んじた宗楚瑜との間で国民党への候補統一の条件として将来の禅譲といふ約束があつた可能性があり、さうなると馬英九の出番が狂ふ懸念あり。今回の国民党の敗北でもう国民党には馬英九以外の候補なし。(3月20日
と我ながら「その通り」の結果に。だがかうして辿れば1998年の台北市長選挙で現職の阿扁vs英九君の一騎打ちがあり台北市民が英九君選んだことが結果的に阿扁を総統選挙に担ぎ出したやうなもので、結果論だが98年に台北市民が阿扁の市長続投を支持してゐれば2000年の李登輝総統引退で英九君が国民党の総統候補であれば当時は勢ひのあつた民進党も有力候補なし、で英九君の総統就任が8年早まつてゐたの鴨。また2004年に疑惑の銃弾の最大の受益者は今回の選挙で英九君と明らかに。いづれにせよ首都の市長選挙に落ちた現職市長が(いくら南部の支持があつたとはいへ)元首となつたことぢたひ今にして思へば大きな矛盾。
▼スペインの女性国防相が妊娠から出産へ。朝日新聞の記事に
就任後、同国軍が駐留するアフガニスタン訪問などをこなしたが、20日の国会国防委員会への出席は急きょ、キャンセルされた。
とあり。何気なく読み進みさうだが、文法的にはヘン。主語はこの「国防相」だから文章の前半が「訪問をこなした」なら自然な文体では後半も主語は同国防相のはず、となると「キャンセルされた」は意地悪く読むと「尊敬」の表現のやう。当然、「出席がキャンセルされた」の受け身表現なのだが、主語の一致の原則で、産気づき自分や周囲の意志で参加取り消したのだから「出席は急きょ、キャンセルした」とすべき。このやうな本多勝一が叱りさうな非論理的な日本語が記事の中で散見されるのが朝日新聞(に限らぬが)。
▼天災があると新聞に「浩劫」といふ言葉が見出しなどに多し。一瞬、なにか「明るい」言葉に思へたが、これは英語ならdisasterで大災害を意味する。がどうもピンと来ずにゐたが昨日の蘋果日報の随筆で陶傑氏がピシャリッと言ひ放つ……「浩劫」といふ語の多用が安易すぎる、と。「劫」といふ字はそもそも仏教の観念。時空は無限にて世俗の年月日で測れず、この無窮無尽の時間の一つの単位が「一小劫」、八十小劫が「一大劫」。大劫は四節あり「成、住、壊、空」それぞれが二十小劫毎。台風、津波地震は「壊劫」の中の「大三災」で、つまりは「災ひ」も諸行無常、仏教的な時空の中では「永劫の時間」に比べれば小さなこと。ちなみに恐怖襲撃・戦争と飢饉は「成劫」の中で「小三災」とされる(ほど小さな扱ひ)。……であるから「劫」のいふ字は中立(ニュートラル)で、例へば隋書に
大水大火大風之災、一切除去之、而更立、生人又帰淳樸、謂之小劫。毎一小劫、即一佛出世。
にあるさうで、あらゆる厳しい天災を経て、それが収まり人が淳樸に戻る、この長い時間が小劫で、その一小劫に佛様が世にお出ましになる、と。ありがたい話。詳しくは原文(こちら)。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/