富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-04-15

四月十五日(火)晴。春になると陋宅に西日さすやうになる。早晩に帰宅すると今までに見たことのない西日が廊下から燦々とさしてをり何かと思へば(地軸でも狂つたか?)陋宅より1キロほど離れたところに建つた超高層ビルが全面鏡張りで、そのビルに反射した陽が直撃。アタシの大切な酒棚や廊下の壁にかけた古地図など日に焼けちまふよ、まつたく。夕方なのにブラインド降ろした部屋でドライマティーニ二杯。
▼立川での防衛省宿舎でのビラ配り有罪判決。「住民の私生活の平穏を侵害する」とするが結局のところ防衛省宿舎で自衛隊イラク派遣反対のビラ配りといふ政治的行為だから問題にされたわけで、これが逆に共産党員が多数を占める団地で(つてそんなもの存在しないだらうが)紀元節復活のチラシが配布されたことに住民が訴訟起しても「住民の私生活の平穏を侵害する」と裁判所は考へないで、きつとそれは憲法が保障する政治的表現活動の一つ、で済んでしまふのだらう。そんなもの。この判決に対して奥平康弘氏曰く
市民がプライバシーを守る手段を国家に委ね、平穏で小さな自分だけの世界に閉じこもって生きてゆくことを「自由」だと考えてしまうことも問題だ。基本的な自由という基盤がない社会は、非常に危うい。「プライバシー」がもてはやされる中、国家が枠をはめた個人の自由に安住する「庶民感覚」では、国家にとって都合がよい管理社会の方向に流されてしまうのではないか。
と(朝日新聞、私の視点)。御意。ふと思ひ出したのは5年近く前になるが巴里の地下鉄での光景。かなり混雑した地下鉄の車内で、一人の中年の共産主義者が延々と政治演説。フランス語はアタシは解さぬがprolétariatだとかparti communisteとか、たぶん東側共産圏が崩壊しても共産主義の理想は……といふやうな内容。ちよつとキテしまつてゐる、この共産主義者のアヂ演説は迷惑なのだが地下鉄の車内の乗客はぢつと耐へる。何故か。政治的演説であるから騒音、迷惑と否定してしまつては「自由」の否定に繋がるから、だらう。2駅ほど過ぎて共産主義者は“merci beaucoup”と演説を締め括り下車(実は隣の車両に映つて演説を再開したのだが)。この男が去ると、誰も不満、苦情を口にするでもなく何事もなかつたかのやうな車内。駅の構内でのジャズミュージシャンの演奏やアフリカンダンスも一緒。表現の自由の確保。
▼左丁山氏が蘋果日報の随筆で九龍站の大型商場「圓方」について書いてゐる。圓方(画像)を初めて訪れた左氏、西苑での晩餐だつたが、晩餐終へて食肆出ると圓方の小売店は晩の九時だといふのに営業中。早々と店終ゐする中環と比べ、左氏は驚くが、広い商場を右往左往してやうやくタクシー乗り場に行き着くと今度はタクシーが来ない。中環ならタクシーに乗る客が長蛇の列だといふのに。左氏の連れ曰く、圓方は週末なら賑はふが平日はこの閑散ぶり、でテナントがどうして店賃を払へようか、と。今後、都市拡大と交通機関の乗り入れで、いつの日か九龍站が賑はふのかしら、と。
▼信報で古典音楽評論の劉偉霖氏が香港芸術祭でのアンドラーシュ=シフのピアノコンサートについて書いてゐるがシフさんの怠慢について多少の酷評。シフさんが塩川悠子さん(奥様)のバイオリンとチェロ(Miklós Perényi)との三重奏の第一夜に続きアタシも聴いた第二夜のリサイタル。予定では演目はシューマンの蝶々12曲、ベートーヴェンソナタ17番・テンペスト、で中入り。で後半がシューマン幻想曲ハ長調ベートーヴェンソナタ21番・ヴァルトシュタイン。の予定がシューマンの幻想曲までが前半に入り、後半はヴァルトシュタインのみ。劉偉霖氏曰く、曲調からしシューマンの幻想曲を前半に組み込みヴァルトシュタイン単独した意図はわかるが前半の70分は長すぎ、また曲の演奏の間のとり方にも疑問呈す。これについて第一夜の三重奏も聴いたZ嬢に話すと、第一夜の三重奏で、とにかく客のマナー悪く、楽章の曲間でまぁざはつくは必要以上に咳払ひするわ、で曲の流れを壊すこと甚だしく演奏者もかなり閉口の様子だつた、と。会場の市大会堂の老朽化した空調を演奏中は止めさせたほどのシフ氏、第二夜で意識的に曲間を短くして演奏続けたことには、さういふ背景あり、とZ嬢。御意。

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