富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-03-26

三月廿六日(水)雨のなかZ嬢とマカオへ遊ばうと朝8時半すぎのジェットフォイルで一路、マカオマカオも雨。路線バスが生命線のマカオマカオパス(澳門通)便利だが昨年購入したカード紛失し購入したいのだが香港のオクトパスは購入も簡単(全MTR站で可)だがマカオパスは発売当初は波止場のバス乗り場でも発売してゐたのが打ち切り。波止場の観光案内所で市内の澳門通客戸服務中心の場所教へられ雨の朝に他にすることもなく其処を訪れマカオパス購入。此処の他、新福利バスの営業所3ヶ所と提携のスーパー(来来超級市場)など十ヶ所だけでしかパス購入と増値が出来ぬのだから少々不便。実際に、バスが主要交通機関マカオなのに、このパスの普及率は香港のに比べると段違ひに低い。このテのパス、八方達(香港)、澳門通(澳門)、深圳通に羊城通(広州)と原理は同じなのだから近い将来「華南通」とかに統一されるかしら。珈琲でも飲まうか、と板樟堂巷(Travessa de S. Domingos)のCafe Ou Mun(澳門珈琲) に赴けば閉業。近隣のBoa Mesaといふ軽食屋で美味な珈琲を喫す。路線バスでカジノ建築ラッシュまだまだ続くタイパ島抜けてコロアネ島へ。それにしてもこんな大型カジノ並び中国の田舎者のカネ(といつてもどこまで私費か不明だが)巻き上げ阿漕な賭場業よ。コロアネ島のホテル Pousada de Coloane で昼食。いつも客の少ない鄙びた宿。91年だつたか1週間もここに投宿した時には泊まり客と食事客の余りの少なさはまるで廃虚。それが今日は平日だといふのに宿泊も食事もそれなり(といつても数組づつだが)にゐて驚く。蜆のバター炒め、焼き鰯と蛸の雑炊。ヴィーノ・ベルデ1本。雨は歇み陽光さす。食後のんびりと路環の集落まで散歩。日本からのツアー客も来るLord Stow's Cafeで珈琲。もう三時。路環から25系統バスで中国(珠海市)境界の關閘(Portas do Cerco)へ向ふ。關閘に近い台山には老朽化した工業ビルや公共住宅など多し。内地との担ぎ屋の結集地でもあり。珠海市から日用品の買物でマカオに入り買物だけ済ませ戻る人も目立つが、とくに紙オムツや粉ミルク、食用油など。納得。關閘から18系統バスで澳門通訊博物館へ向ひ参観。澳門の郵便や電話など通信の歴史ばかりか通信技術の仕組みなど大人にも難しいくらゐ科学的要素たつぷり。自分でオリジナル切手をデザインして印刷するなど、けつこう遊べる。今度はZ嬢のマカオパスにエラーが出て、再び澳門通客戸服務中心へ。もう午後6時。Z嬢と小一時間別れ骨董品屋などふらふら。クラシックカメラ扱ふのは(アタシの知る限り)新馬路の骨董時計屋に数点カメラを置く程度なのでアタシには散歩も安全。十数年前に大久保の医師N系が殆ど未使用の古ゐハツセルブラッド(箱入り、説明書つき)発掘したのも新馬路の骨董品屋だつたのだが今はもう廃業かしら。Z嬢と待ち合はせ祥記麺家で雲呑麺と蝦子撈麺。食後、暗くなつた市街をアタシがマカオで最も好きな十月初五日街(Rua de Cinco de Outobro)から白鴿巣に向ひ散歩。日本でも昔は、アタシが幼い頃は横丁の路地にかうして夜になつて賑はひあり。白鴿巣には半世紀そのまま?のやうな屋内娯楽場ありアイススケート、ボーリングにゲームセンター。タイムスリップしたやうな光景の連続。懐かしい。マカオ旧市街でもかうした路地の散歩は白鴿巣から先は8系統のバス路線がいい。永樂戯院のモダニズムファサード。安記麺家の牛腩麺(今晩は食べず)。「なぜ潰れない?」とかへつて不思議な地元の小さな百貨店やスーパーなどが狭い通りに並ぶ。カジノの建築ラッシュもまるで余所事の、古くからのマカオの旧市街を漫ろ歩く。中上健次の世界なのだ、此処は。夜10時発のジェットフォイルで香港に戻る。
週刊文春(3月27日号)で小林信彦さんの連載「本音を申せば」で東京大空襲の話を読む。3月10日といへばこの大空襲だが、その日が陸軍記念日日露戦争奉天会戦祝賀)なのださうで、戦時下疎開中の子どもらも(信彦少年もその一人)この記念日は東京に戻るのが恒例。もし空襲が翌日であつたら、信彦少年も生きてゐなかつただらう、と。TBSでこの大空襲のあつた3月10日に『シリーズ激動の昭和 3月10日〜東京大空襲』といふドラマ放映された由。空襲の惨禍をライカで撮影した警視庁特命の写真家、石川光陽氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/石川光陽)が主人公(中村トオル)。米軍が日本空襲で非戦闘員殺戮も決め、東京空襲では大震災の火のまわりまで調べ上げたこと。余の父はB29機が飛ぶのを手を振つてみてゐたほどのんびりした田舎で育つたが、母は東都は四谷で生まれ育ち焼け出され疎開組。子どもの頃から祖母に震災で皇居のお堀に飛び込んだ話や空襲のことなど聞いた話を彷彿。幼い頃は自分の知らない聞いた話も、やけにまるで目に焼き付いたやうに記憶するもの。
香港国際映画祭の主催団体が山田洋次監督に『母べえ』での開幕上映でのエンドロール時の粗忽ぶり謝罪の由(SCMP紙)。廿四日の一般上映で『母べえ』看たN氏の話では完ぺきに最後まで暗天だつたさうな。

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