富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-02-25

二月廿五日(月)某所にて師匠より洋琴稽古授かる。終はつて晩にZ嬢と銅鑼湾の天麩羅「岩波」に食す。年中無休の日本料理屋でありがちな月曜は親方非番か、地場の若い板前に向ひカウンター席。天麩羅屋で刺身を供すのは魚屋系なら珍しくないが(つな八など)、この店は寿司も握るのは百歩譲るとしてメニューは寿司がメインで天麩羅の扱ひがおまけのやうに小さいのには出鼻挫かれた感じ。親方のをらぬ日の地場の、健気な若衆の仕事ぶりはなかなか。赤貝と平目のお造り食す間に揚げ方の板前が揚げる具の下拵へするが丁寧な仕事ぶり。アタシが天つゆはたくさん要らない、天麩羅も天つゆにぢやぼんと浸けず、天つゆの大根おろしをすこし天ぷらに載せて食べる流儀なのも板前君はちやんと観察、で給仕がアタシの天つゆを足さうとすると「天つゆはほんの少し。それと大根おろし、おかはり」とか機転がきいて立派。天麩羅もけして日本橋の「みかわ」だ「はやし」だ、ヒルトップホテルの「山の上」だ、つて話をしてるんぢやないんだから、香港ではぢゆぶうんに美味い天麩羅を供される。揚げ方の板前君がいい奴で、一見の客である私らなのに追加で注文の(ふつうは天麩羅のコースだと含まれてゐるが、この店は違ふ)掻き揚げと「食べますか?」と向かうから聞いてきたゴーヤの天ぷらはチャージされてをらず。敢へていへば、揚げた天麩羅の油をきるのに、やたら必要以上に箸でつまんだ天麩羅を振るから(⇦今まで見たことない)せつかくのあつあつが冷えてしまふこと。そして天つゆの鰹の出汁の強さは(蕎麦汁みたいで)ちよつと閉口(湯気がたつほど熱い天つゆで供されたので余計に鰹の臭ひがきつかつたのだが)。麦酒の後に、初めての店ではよくやることだが銘柄指定せず、ただ「熱燗」と頼み、出てきた熱い酒が芳香豊かな大吟醸。しかも天麩羅で、である。安つぽい純米酒で十分なのだが。食し終はり板前君が丁寧に「如何でした?」と尋ねるので酒の銘柄を質すと給仕が答へるに「出羽桜」と。なるほど。板前君が「お酒はどうですか?」とちよつと心配さうな表情するので「個人的には、こんな日本酒のなかでも特有のフルーティーな酒は、天麩羅で、しかも熱燗には絶対に向かないと思ひます」と告げる。板前君、見上げたもので「わかりました。ありがたうございます」と(以上、全て日本語)。礼儀正しさに甚だ敬服。今度、是非、親方の番の日にも食してみよう、と思ふ。余談だが食事中のBGMで「蛍の光」が流れ、どうも日本人にだけは、あの曲が流れると「店は終はりです。お帰りください」に聞こえるから可笑しい。帰宅して寝る前に吉田秀和さんの「音楽展望」1977年だつたか、宝塚歌劇について、を読む。初めてヅカを観た秀和さんの素晴らしい宝塚評。
▼香港芸人の「淫照門」猥淫画像網上流出騒動の顛末。妻が(結婚前とはいへ)男芸人陳某のカメラ前に醜態曝したこと暴露され、妻とともに醜聞からずつと隠遁続けてゐた芸人のN某君が内地での仕事に出向くため数週間ぶりに姿を現せば憔悴隠しきれず。河北省でのスポーツブランド「特歩」の宣伝活動。この「特歩」のイメージキャラの芸人がこのN某君と女性デュオT。このデュオTの片割も「淫照門」の悲劇のヒロインの一人。そのデュオTもN某君と一緒にこの宣伝活動に堂々の参加。いやはや「芸人根性」とはまさに見上げたもの。「見られてなんぼ」の芸人はどんな恥辱に曝されようと所詮「見られなければ」商売あがつたり……どころかアイデンティティの危機もあるかしら、でスポットライト浴び(ふと、ちあきなほみの「喝采」を彷彿)、イメージキャラに使ふ側の企業も企業で「若いスターたちに再起の場を」といふと聞こえはいいが「あんたらになんぼギャラ払つたかわかつてるんか、こらぁ!」で働くだけは働いてもらひまひよ、のこの宣伝活動は醜聞のおかげで宣伝費の数十倍の効果でマスコミが取り上げる。芸能も資本主義もまさに文字通り「極道」「無間道」の世界なり。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/