富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-02-13

二月十三日(水)数年前から果たして何処に仕舞つたか、と気にしてゐた、我が祖父篆刻の印鑑が引き出しの奥から見つかる。「竹居」(ちっきょ)は亡き祖父の俳号なり。早晩寒風吹くヴィクトリア公園。週末の香港マラソン、ゼッケンなど受け取り。1997年の第1回はマラソンにわづか313人、ハーフに763人の参加。翌98年の第2回に10キロが始まり(ハーフ取り消し)アタシはこれに初参加してから昨年まで10キロ2年、ハーフ5年、フル3年と10年連続参加。練習不足で制限時間内に完走するんだから(フルは5時間30分、ちなみに東京マラソンは7時間)我ながら天晴れ。世界の一流選手の倍の時間を走り続けるのだから、並の体力ぢやかうはいかず。今年は10キロに3.2万人、ハーフに1.15万人、フルに6千余が参加で大会全体としては5万人規模。昨年つひに朝5時台にスタートの10キロの後尻組とハーフが西海底トンネルで大渋滞起し今年は10キロは東區走廊で開催と分離。ゴールももはや湾仔の「出べそ」では収拾つかずヴィクトリア公園に。当日の朝は午前3時から公共交通機関動く由。でそれだけの規模のゼッケン受取りが地場の者は今日と明日、二日間の燈刻、3時間づつ、つてんだから。ヴィクトリア公園のサッカー場、すでに10キロの部は長蛇の列、カウンターがハーフが同数で1時間待ちは必至。アタシは蘇州のI君のハーフのゼッケン受取りも代理で引き受け(本当は明日が指定日なのだが)まづハーフに並ぶこと約20分。終はつてアタシのフルに並び直すつもりがハーフのカウンターの青年がいい奴で「ここでフルも一緒にやつてあげる」と。帰宅して洋琴手習ひ。ドビッシーのEn Bateau(小舟にて)といふ連弾の小曲を練習中なので井上直幸先生の「ピアノ奏法」のDVDでドビッシーの巻を見る。ぢつにいひねぇ。遅晩に走るつもりだつたが晩飯が「おでん」ぢや熱燗がお決まり。これぢや走れない。おでんの残り汁でうどん煮る。うどん啜りながら井上先生のシューマンの演奏を見ては井上先生に失礼といふもの。綺堂劇談本編読了。明治の劇談といひつつ明治37年の初代左團次の逝去をもつて敢へて終談なのは明治の歌舞伎が「團菊左」なら当然といへば当然。それにしても九代目(團十郎)や五代目菊五郎の芝居はどれほど素晴らしかつたのかしら、綺堂居士の云ふ、残念ながら見た者ぢやないと解つたものぢやない、といふ言葉に溜め息。すると丁度、歌舞伎座で先代幸四郎追善(廿七回忌)の「関扉」「七段目」看た久が原のT君より便りあり。いづれの芝居も「昔はこんな軽い出し物ぢやなかつた」と。T君曰く綺堂先生の「残念ながら見た者ぢやないと解つたものぢやない」に後進の好劇家は切歯扼腕したはず。だが昭和58年11月の歌右衛門勘三郎松緑の「関扉」こそ「見た者ぢやないと」に値する、と。本来なら今月の関扉とて「これが平成の」となるべきだが……。
▼SCMP紙読んでゐたら“Obama, Japan, roots for accidental namesake”なんて記事あり(AFP配信)。次第に民主党で優勢の「オバマ氏に小浜市から応援の声=「勝手連」も結成」(時事)。2004年の上院議員選挙(イリノイ州)で小浜候補にカンパまでして応援し、過去の日剰紐解けば一昨年の1月に「バラック小浜」と書いてゐたアタシとしては「オバマ=小浜」の普及に感慨深いものあり。でも「小浜馬楽」の当て字はまだまだ。馬楽といふと噺家だが、「小浜」から上方漫才の海原お浜・小浜海原千里・万里の師匠)想像する方も今ぢや少ないか。仏蘭西の「志らく」大統領もいいネーミング、と思つたのだが流行らず。
▼国連安保理事会によるダルフール虐殺での対スーダン経済制裁決議、中国が受入れず。それに抗議しスティーブン=スピルバーグ監督が北京五輪開閉幕式での芸術顧問を辞任の由。北京の御用知識人は「平和の祭典を政治的に利用されるのが悲しい」と。五輪を政治的利用してゐるのは何処の誰よ、と呆れるばかり。豪州政府は過去の土着民への差別、蔑視政策を公式に謝罪。アタシらが子どもの頃、地理の教科書に豪州の「白豪主義」の記述あり。黄禍思想の苛しさ、と思つたが日本での「朝鮮人」「支那人」差別こそ現実であつたはずなのにねぇ、外ばかり見て、教へられて。

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