富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-02-12

二月十二日(火)寒がりで厚着のアタシはいつも冬に上着の下にチョッキ着てゐるだけ「熱くない?」と笑はれるのが今年は冬物の厚手の背広にチョッキ、更にコートで冬物のボルサリーノの帽子まで、香港ではなかなか出来ぬ冬の装ひ、が寒いが愉快。本当は亡父の厚手の羊毛のコート着たいのだが、さすがに、と躊躇。だが日頃お洒落だ、と敬服する某組織のF氏は(夏でもジャケットきちんと着こなし而も汗ひとつかかずさつぱりとした表情で粋だが)先日お会ひしたら徳利セーターに厚手の上着、毛糸のマフラーに冬物のコート着こなし手袋まで嵌めて、まるで駒形茂兵衛役。見上げたもの。で本日は晩に仏蘭西の馬戯団 Zingaro の公演参観。初三9日より3月23日までの香港公演。ハナの三日は馬場も馴染まぬでしやうから四日目で、の算段。斎藤さんが東京公演を見て「馬と人間がコミュニケーションしてどれほどすごいことをやってるのかおそらくわからない方が少なくないと思う」と書いてゐたが(こちら)確かに斎藤さんの言ふ「事前にまわりからすごい、すばらしいと聞いていたので期待が膨らみすぎてしまったかなという、ナイアガラの滝を見たときと同じような感じ」といふのは言ひ得て妙か。先日、面白いな、と思つたのは「サーカス」は中国語だと(日本人が想像するのはさしづめ「雑技団」だらうが、あれは曲芸で)実は「馬戯団」。実際に現代サーカスでは馬芸の要素は小さくなつてゐるが元来「馬戯」がサーカスの基本であつたやうに(斎藤さんの話に戻るが)つまりヒトと馬とのかかはりがいかに密着か、といふこと。日本にも例へば厩が続く南部曲り家のやうに馬が大切にされた風土もあらうが、農耕馬以上に到つてをらぬやうで、さういへば「馬芸」といふのは芸でも聞いたこともない、とgoogleしても「三遊亭金馬・芸歴」を漁つちまふほど。まぁさういふわけで、あまり大袈裟なこと期待せず、馬とヒトが戯れてゐる、その「安寧ぶり」を愉しむかとが大切なのか、と思ふ……(以上、観戯前の妄語)。といふわけで早晩。Z嬢との待ち合はせにちよいと時間あり。Java Rdの通りがかりの上海理髪店で理髪師が暇さうに居眠り(正月は確か初十五まで散髪は忌だつたか)、で柳家金語楼似の師傳がアタシの見て呉れに合はせ?調髪。老齢の理髪師になると客の帽子の扱ひとか、実に佳し。思ひつきり古風な七三!になつちまつた。北角の「札幌」らーめん店。Z嬢とラーメン啜る。身体温め19時23分の紅磡行き最終フェリーで紅磡。特設テントの発泡酒やサンドヰツチはとても期待できまい。でもやはり札幌ラーメンぢやミスマッチか、きつと馬が輓馬に見える鴨。紅磡埠頭近くに特設天幕。最上席の2列目中央(最前列は砂かぶり過ぎでB席扱ひ)でご観賞。入場すると暗闇のなか円形の狭い馬場に天幕の天上から水柱、その周りには静かに佇む馬たち。厳かに馬戯が始まつたが一旦始まれば「なにが安寧ぶり」か、まぁ勢ひのいい馬戯が続く、続く、であつとひふ間の80分。ライカでカラーに撮りたい世界。これでもか、これでもか、と直径30mほどの、つまり一周わづか95mほどの馬場を馬が襲歩、で騎馬師が曲芸。敢へて言へば、馬場を回る演出ばかりで、例へば数頭が馬脚揃へてタップダンスするとか最後に大喜利をするとか、さういふものがあつてもいいのでは?と一瞬思ふ。が、あくまで馬は襲歩する、といふ基本で抑へてゐるところがZingaroの妙か。ふと、このZingaroの主催者バルタバス師とデットーリ騎手、それにジョン=サイズ調教師といふ「馬と人間がどれほどすごいことをやつてゐるのかわかる」三奇人が一緒に何かしたらどうなるか?と想像する……たぶんヒトとの協調が出来ずに終はる、か。公演終はつて主催者側誂へのシャトルバスで紅磡站。隧道バスで帰宅。文藝春秋三月号読む。石原慎太郎はアタシは個人的には厭ふが、芥川賞の選評だけはこの人の意見にいつも最も共鳴。芥川賞受賞の川上未映子『乳と卵』読む。久々に読み切れた芥川賞作。映画にしたら、河瀬直美とATG映画の東陽一作品を足して2で割つたやうな感じ。「一葉へのオマージュ」といふが、この作品、果たしてこの「長つたらしい文体」(これが一葉風?と云ふのかしら)がなければ、果たしてどうだつたか、アタシには不明。

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