富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-02-09

戊子年正月初三。布団の温もりの気持ち良さに朝寝貪る、といつても七時過ぎ起床。気温摂氏八度。極寒。久々の快晴。机に凭り諸用済ませ昼にZ嬢と北角。飲食店は正月で茶餐廳とマクド以外壊滅状態。北角MTR站傍の強記なる茶餐廳で臘味飯と鹹魚鶏粒炒飯、五蛇羹。茶餐廳も正月でサービス料1割もご祝儀。41Aの路線バスで大坑。大坑道から掃捍埔の香港スタジアムにかけての崖は、かつては衛斯理村があり崖に張付くやうに正民村のバラック住宅が文字通り繁つてゐたが10数年前香港スタジアムの建設の頃にバラック一掃され衛斯理村も住民撤去させられ大坑道にはずつとフェンス敷かれ崖に降りる小徑は鉄扉で施錠される。衛斯理村には小さな教会あり遠くからも眺められたが今では鬱蒼とした樹木に覆はれ姿も見えず。かねがねZ嬢と探検を、と話し漸く今日出かけたが大坑道からの崖は完ぺきにフェンスに覆はれ、小徑も途中で鉄扉で入れもせず。バラックに住まひし住民強制退去させた結果、政府はまた住まはれ既得の居住権など主張されてはたまつたものぢやなし、と断固として立ち入り禁止の措置。ミニバスで銅鑼湾に下り、銅鑼湾では嘘のやうに閑静な掃捍埔散歩して香港スタジアムより崖の階段登り1918年の競馬場大火の死者慰霊碑へ。掃捍埔は単に慰霊碑があるばかりではなく、1918年のこの惨事で590人亡くなり、その多くが埋葬された場所。大正時代に日本人墓地と火葬場建立されたのも此の地。正民村のバラックも一掃され香港スタジアム建設され当時の面影もなく崖に競馬場火災の死者慰霊碑のみひつそりと佇む。歩いて大坑に到る。何故か自動車修理工場多い大坑の市街地は旧正月で静か。最近は小洒落た飲食店多く蓮花宮参拝の者も少なからず。トラムでQuarry Bayに到り夕方のEast End酒場に一憩。N氏とまるで待ち合はせたが如くばつたり。地場のaleと白耳義のChimay麦酒飲む。帰宅。洋琴手習ひ。ドライマティーニ二杯。晩にモツ煮うどん。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/