富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-02-08

戊子年正月初二。気温摂氏九度。極寒。Z嬢と港島東區より新界西貢は黄石碼頭行きのバスで遠出しようか、となつたがさすがにこの週末祝日運行の行楽バスも正月三が日は運休。坑口まで地下鉄。黄大仙から戻りの参拝客少なからず。西貢までミニバスはさすがに閑散。西貢より黄石碼頭行きのバスがちやうど出てしまひタクシーで追ひかけ黄石。ちやうど、このバスの到着に合はせた10:35発の連絡船が出るのに間に合ひ、塔門島から高流湾に行く船にはさすがに乗客もゐたが赤柱(Chek Kung)行きの船は定員60名余にZ嬢と余の二人だけ。歩いても2.5kmほどだが船では東心淇の岬を越え僅かに10分で赤柱。波止場に着き船が去れば静寂の世界。薪木の焼臭からキャンプ場で正月を野営で過ごす数組あるのを知る。この赤柱より山中の鹿湖に向ふ算段。野営場のすつかり牛が雑草食ひ尽くした芝生のなかを歩み山道に入るつもりが林中で右往左往し諦めていつたん海辺に戻り赤柱の廃村よりの経路で再び山道へ。山岳マラソンKOTHの路線札あり(昨年11月25日開催)。約2kmで標高200mほど登り昼。鹿湖郊遊徑に入り今日初めてハイカーに出会ふ。黒狗連れの日本人の男女。正月二日に山に入るのなんて中国人のわけないですね、と笑ふ。0.5kmほど山中下り鹿湖。香港の近郊ハイキングでは景勝地ながら我々二組と狗一匹のみ。鹿湖郊遊徑を約5km歩き北潭道に出る。約8km、4時間。牌額山(452m)の袖、0.5kmで120mの登りは驚いたが西貢の今朝、船を降りた赤柱の波止場から東は大浪湾まで一望は見事。通りがかりのミニバスで西貢。正月でThe Duke酒場休み。Z嬢がパン屋に寄る間にコンビニで200mlの赤葡萄酒の小瓶購ひ立ち飲み。午後遅くで小腹空いたが龍記桂林米粉は正月休みで松記車仔麺は長蛇の列。林記小食で炒麺と腸粉食す。ジムで一浴し帰宅。対日本のご公務済ませ洋琴手習ひ。晩にケーブルテレビで1988年の映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら』放映あり思はず見入つてしまふ。当時、カウリスマキ監督の“I Hired a Contract Killer”(主演はトリュフォー監督「大人は判つてくれない」でデビューのJean-Pierre Léaud)とか、“Coffee and Cigarette”とかと並んで好きな映画でZ嬢と渋谷中心に屡々映画見ては飲み歩き、と、あれからもう20年……と感慨深きものあり。『ワンダとダイヤと優しい奴ら』は当時もとても可笑しかつたが今になつてきちんと英語だけで見てみると英国の人々の振舞ひの可笑しさやブリティッシュな英語での言ひ回しの妙など、それが実に抱腹で笑へる。だがこの話はワンダといふ泥棒女が、ダイヤモンド独り占めするがためにワンダに恋する男たちの間を巧みに泳ぐ、まさに原題の“A Fish called Wanda”そのものが魅力的で、それに一流のコメディが加はつたところが素晴らしさ、と納得。
▼英エコノミスト誌が中国の寒禍の特集記事、見出しは Frozen assets と題す。「資産凍結」か、ほんたうに見出しだけでも感心。
▼昨日(正月初一)の蘋果日報で蔡瀾氏の随筆再開。但し「查租界」と題して語るか斯の如し。查(金庸)夫妻、黎智英(蘋果日報社主)夫妻、倪匡夫妻らとの会食の折、この連載の話となり、蔡瀾に代はる代筆もそろそろちよつとネタが尽きた、と言ふ倪匡氏。中国武侠小説の第一人者・金庸氏は、明報の創設者であり黎智英もこれまで三顧の礼尽くし蘋果日報での執筆願つたが叶はず。その金庸先生がぽつりと「その借地=連載、自分が借り受けよう」と。「但し一篇だけ」と釘をさす金庸に、黎智英、蔡瀾、倪匡が連載で書いてこそ面白い、と説得し、結果、三人が輪番で受け持つことになつた由。金庸が再び筆を執る、といふのは文芸界にあつては椿事なり。
▼昨年より信報で週一回、孔在齊(沈鑒治博士)の京劇史の随筆連載あり興味深く読む。上海に育つた氏が戦前の京劇を語る見事な文章。先週は程硯秋(1904-1958)、今週(六日)は四大髭生之一・楊寶森(1909-1958)。実際に楊寶森の戦前の舞台を上海で見た沈氏は、その歌唱の絶妙を語る。がそればかりか楊寶森の弟で鼓師である楊寶忠に関する言及も興味深いものがあり。ここ数日、岡本綺堂の明治劇談読んでゐるが、この孔在齊の京劇劇談も実に面白い。

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