一月廿五日(金)寒波再来。冷雨。かなり久々の本降り。街を歩く人も車も雨に慣れてをらず。早晩にバーYでハイボール二杯。F氏と鵝頸橋の居酒屋・和居和居に飲む。バーSに飲み深更に至る。
▼健筆なる蔡瀾氏、いくつもの連載かかへ旅行中でも旅先から意欲的に寄稿し蘋果日報の連載随筆「草草不工」など欠かすことなし、が昨年、蔡瀾氏は旧友の倪匡(60年代に少年向けの「衛斯理シリーズ」で一躍馳名、香港代表したSF作家)を客旅先の桑港より實に14年ぶりかで香港に戻すと何度か蘋果日報の自分の連載を、旅の最中は倪匡に任せるやうになつてゐたが、今年一月三日まで連載寄稿続けたあと翌四日より倪匡氏の連載がずつと続き(それまではせいぜい一週程度)さすがに二週間を超え「体調でも崩したか?」と思つてゐた矢先の十九日に蔡瀾氏久々に登場したが「天意」といふ題で
太過操勞,被兩種病毒入侵,好在我抵抗力頑強,把對方打倒。生病這段時間,請倪匡兄代筆一個月……
と一ヶ月の休筆宣言。翌廿日に「租界」と題して面白可笑しく、自分の連載コラム欄の又貸しについて語り、当面は『壹週刊』誌の「一樂也」と「未能食素」、それに『飲食男女』誌の連載だけと執筆を軽減の由(本当は「一樂也」も休筆したいところだが挿絵画家の蘇美璐が稿料の半分を父に仕送りしてゐるので連載継続、と余計なコトまで書くのがある面では蔡瀾の面白さか)。 いづれにせよ、さういふわけで蔡瀾の草草不工は連載中断のまま。一ヶ月後に復帰すればそれで万事好し、だらうが体調芳しからず、か、いつ死んでもをかしくなかつた不健康の極みの倪匡氏が元気で、が皮肉なところ。蔡瀾、倪匡といへば故・黃霑と三人がホストとなつた伝説的なテレビ深夜番組「今夜不設防」(89〜90年、亜州電視)懐かしいところ。あれから17年、と思へば黃霑氏が逝き、さすがの蔡瀾氏も体力に衰へ見えても不思議でもなし(が、やはり倪匡氏が元気なのがいちばん不思議)。
▼ふと「はてな」富柏村日剰をアクセス分析で皆さんがどの単語検索で当日剰に辿着かれたか、を眺める。2007年通算で上位は「富柏村」「空の空」「村上湛」「片岡郁美」「田原牧」「香檳大廈」「別所浩郎」「de mong-ha pousada」「新翠華茶餐廳」と続く。「空の空」は加藤周一先生が朝日の夕陽妄語での引用から。畏友村上湛君の名は實は古典芸能といふ一見古風な世界がその好事家たちはネットで情報ゲットもお好き、の証左。片岡郁美さんはもう何年も前に数回触れただけなのに根強い人気。田原牧さんも支持が高い。香檳大廈は尖沙咀の中古カメラ商入る雑居ビルだが情報少なくカメラ関係の好事家が検索か。別所浩郎氏は外務省の国際協力局長で、この検索が多いのもどういふ方たちが検索されてゐるか、に寧ろこちらの興味津々。「de mong-ha pousada」はマカオのホテルだが情報少ないゆゑ。新翠華茶餐廳は香港の代表的な大規模茶餐廳でアタシはバーSで酔つた帰りに一度寄つたくらいだが。でこのあと、なぜか有栖川宮、秋篠宮、高松宮と宮家が続き、湖舟、益新美食館、サイトウキネン、沢田研二、白洲次郎、顔福偉、コントアール、一碗麺、八重洲書房、変圧器、按摩椅子、李玉剛、稲ぎく、草間彌生、柳澤秀夫、はたはた、ノクティルックス、葛飾ビラ、ホテル三條苑、内掌典、廣東茶居、徐展堂、男色画、福和煙草、胡文閣、西苑酒家、雪園飯店、ガディス、山の上ホテルモーツアルト、ユンディ、中村紘子、九龍皇帝、住家菜、張震、新光戯院、明記甜品、永合隆飯店、璽光尊、稲菊、蔭山征彦、藤田玲央、陰間茶屋、靴に恋する人魚、香港ヴァース、二階席、レリーズ、ラウンジ、GR Digital、Peninsula Pharmacy、あげ半、ふろふき大根・阿部なを、アミノギア、インポートフジイ、チンチンカモカモ、ランパーン・象使ひ、一樓一鳳、上野富吉、中古カメラ、井上直幸、京笹、今夜は最高・藤村有弘、国民教育中心、坤記、安藤光雅、寿司澄、小南国、島貫果樹園、役者買、景記粥王、梁蘇記遮廠、民建聯、永合隆、滝山コミューン、澳門珈琲、瀬戸正人、生き試し、米原範彦、葉劉淑儀、蓮華生輝、藍宇、雪園、香港バレエ、鯛萬、森喜朗衆議院議長……と続く。意表をついていちばん可笑しかつたのは「チンチンカモカモ」と「役者買ひ」かしら。でも安倍なをさんのふろふき大根作らうとして検索してこの日剰に辿着いた人は困つただらうに。
富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/