富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-01-06

陰暦十一月廿八。小春。朝遅く新界粉嶺。坪輋行きのミニバスを孔嶺で下車。孔嶺はかつて洪嶺。粉嶺より沙頭角結ぶ一直線の幹線道路。途中にかつての英軍の軍営地、現在は人民解放軍の軍営あり、この一直線の道路は軍事道路か、と勝手に合点。實は二十世紀初頭、粉嶺より沙頭角まで12kmに廣九鐵路の支線あり、この道路は線路跡の由。1912年に狭軌鉄道で開通し広軌になつたが1928年に廃線。現在でも唯一当時の面影残すのが洪嶺站の驛舎。と云はれても看板もなければ驛舎と知る術もなく道路沿ひの古い混凝土の倉庫跡としか映らず。流水響道4kmほど歩き鶴薮。香港でも有数の丹精込めた園芸野菜が見事な畑の畦道。新屋仔の集落より南涌郊遊經に入る。標高差300mを僅か2kmで登り2kmほど高原を歩き南涌へと下る。ちよつと半日のつもりが400mの山越え、15kmの山歩きとなる。鹿頸よりミニバスで粉嶺聯和。山東餃子店。粉嶺よりKCRで帰る。本日ずつと平井呈一『真夜中の檻』創元推理文庫読む。呈一さんの表題作、もう一編「エイプリル・フール」。「真夜中の」を「本邦ホラー屈指の傑作」といふにはちよつと。著者は1950年代に『吸血鬼ドラキュラ』など日本で英米ホラー小説の翻訳で名を駆せた人だが、ホラーに疎い私にはこの文庫本の三分の一を占める著者の英米ホラー小説に関する随筆は読み飛ばし。だがそんなアタシがなぜ読むかといへば著者は荷風散人の日剰の、あの平井君ゆゑ。この文庫本、呈一さんの最後の内弟子たる荒俣宏さんの「序」に始まり、紀田順一郎の解説、東雅夫による「Lonely Waters - 平井呈一とその時代」、さらに『真夜中の檻』が1960年に中菱一夫の筆名で浪速書房より刊行された際の乱歩先生の「序」と中島河太郎の「跋」まで収録。それらが秀逸で一読の価値あり。『真夜中の檻』はホラー小説としては今更読むと「ベタな」な習作のやうだが未亡人の台詞は美しい。客(主人公)の風呂上がりに浴衣用意してゐながら召すやうに告げるのを忘れた時の「あら、わたくし気がつかないことをして……」とか、主人公に美貌褒められた時の未亡人の「まあ、たいへんですこと。とてもこれは砂糖豆のお茶受けぐらゐぢやおつつきませんわね。どうしませう」とか、實に上品な山手夫人の艶つぽさ(実際のこの場面は新潟の山深い村なのだが)。この砂糖豆を出す時も「わたくしね、(あたなの)お勉強の合間にお口寂しいでせうと思つて、あちらで今ちよいといたづらをしてきましたの。配給のお豆がたくさん残つてるもんですから」と。「気がつきませんで」を「気がつかないことをして」と言つたり、豆菓子を煎るのを「いたづらをして」とか、かういふ上品さ。奥床しさ。大宰治が使へさうで使へない台詞まはしの妙。これは呈一さんの見事。東雅夫の文で、呈一さんの父親が川上音二郎一座の番頭だつたこと、また実兄が黒門町の「うさぎや」の創業者など知る。

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真夜中の檻 (創元推理文庫)

真夜中の檻 (創元推理文庫)