富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-01-05

一月五日(土)快晴。内に外に雑用済ますうちに燈刻。豆乳鍋。豚肉と野菜を煮て食し、最後にラーメンをこの汁で茹で辣油がけ。柚子浮かべた風呂に入りバレンボイム&サイードの『音楽と社会』みすず書房、ほんの少し読む。
▼新年早々大阪に能見物の久が原のT君より恐ろしい話を聞く。宝塚歌劇のポスタアに「白洲正子」の役名……は宝塚歌劇の「黎明の風」といふ舞台。白洲次郎が主人公で、その生き様を「夫婦愛、敵対する者との友情、そして平和へのメッセージを込めて、壮大にミュージカル化」ださう。T君の指摘の通り、まだ十分に歴史化されたともいえないこんな生々しい「物語」を甘美な「少女歌劇」に化けさす節操のなさ。宋美齢を俎上に載せた劇団四季と同じ発想か。ワイマール時代以降の独逸史が新作オペラとして独逸圏で、或いは「江青」てふ現代京劇が香港で上演されるかしら。ただただ節操のなさ、は、そのうち「森光子放浪記」とか「瀬戸内寂聴物語」なんてのが「ご本人ご存命のうちに」上演されかねず。
朝日新聞苅部直先生(東大、日本政治思想史)が「伝統vs批判の二極を越えて」と題して天皇制について。久野収の生前の天皇制論(つて死後の、は「ない」が)から語り始め、天皇制を語ると極端な国粋主義か、逆に民主的な立場からの天皇制廃止といふ二つの極に岐れてしまふことを苅部先生は嘆き、むしろ紛糾する国会や官庁の不始末など続く社会にあつて両陛下の福祉事業訪問や被災地訪問などが模範的に映ることでの皇室の意義(苅部先生はここでは言及してをらぬが、これが皇室のまさに憲法に謳はれた国民の象徴的価値のはず)を説き「少なくても、天皇による任命や国会召集といつた手続きがもしなかつたら、政治家や大臣の責任意識は、現状よりもさらに地に墮ち、混乱に満ちた政治の世界が登場してゐただらう」と述べる。それだけでも皇室の存在価値がある、と。御意。だが先日も述べたことだが、小泉三世の詭弁上奏あたりから、政治家のなかに皇室蔑ろにする風潮あることは軽視できず。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

バレンボイム/サイード 音楽と社会

バレンボイム/サイード 音楽と社会