富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-10-20

十月廿日(土)朝八時まで朝寝貪る。快晴。部屋の片づけなど済ます。原武史『滝山コミューン1974』読了。戦後教育が自由で個人主義のやうでゐて(そこが保守反動右翼の攻撃の的なのだが、実は)戦後の「民主教育」も戦時中の国民学校と同じく「民主的」といふ冠が「軍国主義的、愛国的」と対峙する形でついてこそゐるが結局は「仲間、みんなで協力、助け合ひ」で集団が「単一の意志と力をもつた単一の集団」と化すべきところで同じ。アタクシ個人にとつてもこの環境で共産党員のやうに運動に参与したり、着いてゆけずに辟易したり、の繰り返しの小中学校時代であつた。卒業式の、誰が作つたのかわからない「呼びかけ」での感動……憂鬱。いづれにせよ楽しかつた思ひ出はすべてがこの集団主義から逸脱したところにあり。著者は「あとがき」で述べてゐる。
二〇〇六年十二月に教育基本法が改正される根拠となったのは、GHQの干渉を受けて制定されたために「個人の尊厳」を強調し過ぎた結果、個人と国家や伝統との結びつきがあいまいになり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが果たして、旧教育基本法のもとで「個人の尊厳」は強調されてきたのか。問いただされるべきなのは、旧教育基本法の中身よりも、むしろこのような歴史観そのものではなかったか。
と。続いて古書バザーでだいぶ回遊してきたらしい林真理子マリコの食卓』(ぺんぎん書房)某氏より読んだら誰かに回して、と入手、を読む。売れつ子作家となり出版社の経費でファーストクラスと一流ホテル、だが気取らずに庶民らしさで感動してみせる、下世話なところが著者の魅力か(だがアタシはどうしても、それを自費でやつてみせる田中康夫の矜恃が好き)。午後に薮用あり外出。大気劣悪。往き帰りに吉田純子著『少年たちのアメリカ』(阿吽社)詠み始める。副題は「思春期文学の帝国と<男>」。本題での「少年」、副題での「思春期」とあるが、この本は米国における男性<性>の変遷に対して実に興味深き言説続く。米国のセクシュアリティにおける男性<性>においてホモフォビア的なるものに関心ありアタシはこれを読まうと思つたが期待以上の著作に出会つた感あり。半分ほど読む。著者は米文学専攻の神戸女学院の英文学の教授。帰宅途中に太古城の無印で枕を買ふ。枕を買つてミニバスに乗り夕焼け眺めつつ、つい、
土曜日の小春日和に無印の枕を買つて帰る幸せ
的なもの感じる。だがこれを俵万智の「考へる短歌」(新潮社「考へる人」で連載中の短歌教室)に応募してしまつたりすると俵万智先生から「この歌の気持ちは、みんなが「さういふ感じ、あるよね」と共鳴できるものだ」と選評に選んだ評価をした上で「しかし、時系列が説明的すぎて単調すぎる」として、例へば「助詞をちよつと工夫してみること」で
土曜日の小春日和の無印に枕を買つて帰る幸せ
とすれば、同じ歌が「まるで映画やテレビドラマのシーンのように映る」と添削されたりするのかしら。「助詞の「の」の使ひ方も、一般的には「の、の」はダメだが、この場合は「無印良品というブランドへの印象の強調」として、面白い使い方です、とされたりして……。まぁそんなことはどうでもいい。無印の「重ねる羽根まくら」と「薄型パイプ枕」の組み合はせを選ぶ。しめてHK$280。日本での定価が消費税抜きで3,400円だと思ふと2割高、は致し方ないのかしら。もう七、八年使つた蕎麦殻枕がいい加減傷んでゐたので今晩寝るのが楽しみ。
▼香港電台(Radio Television Hong Kong)について。英国のBBCの流れ組む公共放送としてアタシは個人的に好き、だが災難続き。その中立的(多少中立左派)な姿勢が税金の無駄遣ひと親中土共派の砲撃にさらされて久し。災難なのは長く局長であつた張敏儀は董建華に厭はれ左遷され後任の局長はこの七月に謎のホステス嬢との遊興現場マスコミに押へられ逃げ惑ふ醜態晒し辞任(日剰七月七日の項参照)。今度は副局長が友人宅より飲酒運転で事故起こす。前任の局長の遊興も「偶然に」会員制クラブ出てきたところで二流芸人のイベントありマスコミが路上で取材中といふのも「偶然」ださうだが、今回も自宅近くで路上に野良犬が現はれ、それとの接触避けようとしての路肩の斜面への激突。香港電台が局内にパブがあるほど「英国的」で脇が甘いのも事実だらうが、どうもここまで災難続くと、つい「ヤラセか」と同情したくもなる。いづれにせよ矢面なのは確か。