富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月四日(木)快晴。福田内閣メールマガジン創刊準備号届く。「はじめまして、福田康夫です。どうぞよろしく」と福田二世。この人らしく
「政治家も役人も信用できない。」そうした国民の皆さんの不信の声を、私は、今、率直に受け止めています。国民の皆さんの信頼なくしては、どのような立派な政策も実現できません。皆さんから信頼されるように、よい政策を実現するよう、一生懸命やっていく覚悟です。「信頼」を取り戻す名案はありません。国民の皆さんの気持ちになって……
と堅気。まぁ今後、毎週木曜日に小泉三世の如き仰天や安倍三世の栄枯盛衰は期待できず。懐かしさのあまり昨年十月の安倍三世の初メール読み返せば
こんにちは、安倍晋三です。昨日、わが国は、北朝鮮に対し、すべての北朝鮮籍船の入港を禁止する、北朝鮮からのすべての品目の輸入を禁止する、など厳格な措置をとることを決定しました。
と、あゝなんてワーグナー的なこの言葉の響き。茶番。諸事に忙殺され二更に至る。ようやく内田樹『先生はえらい』読了。「万人にとってのいい先生、というものはあらかじめ存在しない」「人生の師と仰ぐいい先生はあなたにとってだけのいい先生」「恋愛幻想と誤解に基づく愛、師弟関係」とかなりキャッチーな先生論で始まるが途中、沈黙交易を語るあたりから何だか何が言いたいのかわからなくなり、その揚げ句にコミュニケーションの必要性は「相手の言っていることがわからない状態が続くため」と一瞬まとまりかけ、確かに「キミのことをもっと知りたいんだ」が求愛の言葉で、「アナタって人が、よーくわかったわ」が別れの言葉になるという、このあたりは核心をついているが、それでも結局最後は何を言っているのかがわからなく終わる。で内田先生は、それが当然、と。それでも、ジャック=ラカンの(『精神病』下巻・岩波書店からの引用)
私が皆さんに理解できないような仕方でお話しする場面があるのは、わざとは言いませんが、実は明白な意図があるのです。この誤解の幅によってこそ、皆さんは、私の言っていることについていけると思うと、言うことができるのです。つまり、皆さんは不確かで曖昧な位置にとどまっておられるのです。そしてそれがかえって訂正への道を常に開いておいてくれるのです。言葉を換えて言えば、私がもし、簡単に解ってもらえるような仕方で、皆さんが解ったという確認をすっかり持てるような仕方で、話を進めたら、誤解はどうしようもないものになってしまうでしょう。
という言葉の引用から、わかりにくい言葉で話すことの大切さ、を内田先生が引いている、この部分は面白い。このラカンの文言こそ解りにくいが、よーするに「わかりやすく話すと、ホントはわかっていないのにわかったつもりになられてしまうから、多少わかりにくく話すことで聞き手、読み手を慎重にさせて、つねに自分は誤解しているんじゃないか、みたいなところに置いておくほうがずっといい」ということ。このラカンを読むと「樋口陽一先生が、もっと解りやすく書けそうなのに、あんなわかりづらい言い回しをするのか」も納得。だがラカンの言う意味での「理解できないような仕方」と、少なくともこの本での内田先生の「言っていることのわかりづらさ」は違うような気がアタシはする。たんに大切なのは言葉に慎重であること。ところでアタシがどうしても理解できないことの一つに「蹴球」あり。サッカーでボールを蹴って走ることにがなぜ楽しいのか、しかも世界中で何十億という人がそのゲームを見てなんであゝも興奮するのか。月本さんだって今週末に水戸までサッカーに行くのだ。このサッカーについて内田先生はこの本のなかで「交易がサッカーと同じ」と説く。これには納得。サッカーのボールは貨幣と同じで「そのものには価値がない」。もともと蹴球は宗教的儀礼が発祥で(スポーツなどみんなそうなのかしら)ボールの代わりに生首とか頭蓋骨を使っていた、と(ホントかよ)。そのうちその象徴的なボール(或いは生首)そのものに意味がなくてもゲームの楽しさは変わらないと人々は感じてゲームとして普及。確かにボールは(ペレのサインがあるとか付加価値は別として)ゲームで使わないかぎり、ボールそのものには何の価値もなし。それをゲームとなると「プレイヤーの努力は相手ゴールにボールを「贈る」こと」(自陣ゴールにボールを獲得することに非ず)に懸命になる。もしボールに価値があるのなら得点は「自陣に蹴り込む」ことのはず。価値のないものを相手に贈与すること、でサッカーは原始的な交易形態を現代に伝えている、と内田先生。その「やりとりという行為そのもの」が遊びの愉悦の源泉。だから数十億の人が興奮するのか、と妙に納得。
▼台湾で無所属の中華民國立法委員である作家・李敖氏が中国智慧党結成(9月30日)。党網は簡単明瞭に「反対笨蛋」の由。立場的には「台湾の石原慎太郎」だが台湾で彼がけして台北市長になれぬのは台北市民の良識ゆゑか。
▼中国にとってのミャンマーについて(以下、信報十月朔日社説)。ミャンマーでの僧侶と市民による反軍政抗議活動に対して中国政府の非積極的干渉はミャンマー天然ガス資源の権益確保のため軍政府との友好関係の維持、そして民主化運動の北京への余波の懸念。さらに地政学的に雲南省からミャンマーへのパイプライン完備こそ中国がマラッカ海峡を経ずに中東とアフリカからの資源輸入確保する重要な路線であること。過去十年の間に中国の26社がミャンマーの62個の国家的大型プロジェクトに参画しつつ例えば今年五月のミャンマー政府林業部直営での木材輸出事業の国際入札に海外から59企業が参加のなか中国企業が見当たらぬのは中国の材木商がすでにミャンマー辺境に点在する地方武装勢力の領袖と組んで特殊利権関係があるためで表立った正規の事業協定など不要のため。その森林伐採により自然破壊など深刻で、且つ贈収賄など横行。05年に首都の大学生がミャンマー北部の武装勢力による森林や鉱山資源の乱獲、軍政府の腐敗などに抗議活動もあり。中国政府のアジアにおける影響力の増大をみればビルマのこの不安定に(ただ中国の国家利益優先がための)傍観は許されまい、と。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/