富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-09-21

九月廿一日(金)多忙続く。右肩の痛み癒えず余計に疲労感あり。晩に尖沙咀。バーWにカルスバーグビール一飲し涼をとる。九龍公園にある文物資源中心(旧:香港歴史館)にてRoyal Asiatic Society主催でGordon Mathews博士の“Chungking Mansions, A World Centre of Low-End Globalization”という講演会あり。拝聴。公園に足踏み入れただけで、やはり気温が一、二度涼しく、公園の樹木のありがたさしみじみと感ず。この文物資源中心、いかにも歴史的建物風に拡充し格調高し。会場のレクチャールームはほぼ満席で盛況。Mathews博士はエール大学(アメリカ学部)卒業後に1980年代は日本に滞在。93年にコーネル大学大学院にて博士号(文化人類学)取得しハーバード大学ライシャワー日本研究所を経て1994年から香港中文大学人類学部、で現在は教授。司会がMathews博士は「アラスカ生まれで」と紹介した時に司会者は「アラスカ生まれの人類を初めて見た」と。これで場が和らぐ司会の妙。文化人類学者が重慶マンションをフィールドワークしたから、と言って別段、大発見があるわけでもなく、面白可笑しくこの A World Centre of Low-End Globalization の実態を見てみましょう、といったところ。それにしてもMathews博士、人懐こいメタボだが英語のその早口といったらアタシがこれまで耳にした中でも群を抜いて早口。とにかくよく喋る。楽しそうに面白可笑しく重慶マンション語る、まぁ大した話芸。で忘備録的にいくつか書き出すと、尖沙咀重慶マンション、1962年建立、数年後にはテナントの地権の分譲、転売烈しく、すでに“no unified ownership”状態で現在、約900の地権者がいると言われ4割は非中国人でカルカッタやカラチ在住もおり、尖沙咀の黄金の1マイルにありながら「再開発」の俎上にあっても地権者の最後の一人まで建て替え承認得ることはほぼ不可能であり重慶マンションは下手すると半永久的に存在か(九龍城の場合、英国植民地政府はその扱いに困ったが香港が中国に返還されることで、清朝政府の公用地であった土地の「再開発」は問題なし)。このビル群にアメ横の如きショッピングセンター、インド料理など飲食店、細々と淫売宿、90軒の安宿があり国籍だけでも25と多彩に4〜5千人が居住(短期滞在含む)。現在の主流はアフリカからの零細承認で香港や広東省仕入れた物品を40kgの手持ちで故郷に持ち帰っての販売(これも立派な貿易か)。Mathews教授は90年代にバックパッカーでこのマンションに滞在が調査のきっかけの由。アタシは1984年だか、重慶マンションでも最も安宿のA座16階にあるTravelers Hostelに投宿が最初。博士の発表では現在、安宿の最低料金がHK$60の由。当時、このホステルが確かHK$35だった記憶あり。料金は倍近いが当時はHK$1=25円くらい。今にして思えばアタシが投宿した頃は重慶マンション建立からわずか20年余、なのだが、それにしてはすでにかなり老朽化していた印象あり。厳密に言えば20年ですでに「伝説化していた」と言えよう。講演ぢたい面白いが、さすがRoyal Asiatic Societyの講演会だけあり、老いた英国人のメンバーが1962年にこの重慶マンションが尖沙咀に建てられる頃の光景を覚えている、と語れば、当時、香港警察で尖沙咀が管轄だった、という元警官も当時の実態など語り、Matthews博士自身がこの話に身を乗り出して聞き入るほど。もともと南洋華僑や中国から逃出の資本による合弁の土地開発であったものが尖沙咀でモスクに近いことなどイスラム圏資本がこの一帯を重用。淫売宿がこのマンションで最も盛んだったのはCanton Rdに軍埠頭があったことからベトナム戦争などで米海軍が立ち寄った頃のはず、と貴重な話少なからず。終わってMathews博士と一緒に重慶マンションで夕食会、という余興?あり、かなりの数の聴衆参加したようだが金曜夜で重慶マンションでとても一つのレストランには入れまい、と博士は2つくらいの場所に別れて食事し、食後、重慶マンション裏の尖沙咀で(香港で?)最も安いバーで懇談は如何?と提案していたが、どうなったものか。アタシは一人、尖沙咀東へ。映画観る前に軽く晩飯と思ったが尖東の地下の核シェルター「一平安」が満席。まさか一人でやはり盛況の五味鳥や「兎に角」に入る気にもなれず、そういえば尖東でも場末にかつて「御多福」とかいう日本料理屋あったところが居抜きで鄙びたベジタリアン印度料理屋になっていた、いつも閑散としているから、あそこなら、と行ってみると店の中は空っぽ、裏の調理場からの出口で店主らしき印度人が調理器具など運び出し、の最中。廃業とは今晩はついていない。午後九時より香港科学館にてLuis Bu?uel監督の“Los Olvidados”(邦題は『忘れられた人々』)観る。カンヌ映画祭で監督賞作。今月、このLuis Bu?uel監督の全貌、で上映続くが時間が全くあわず『アンダルシアの犬』も他のエロな映画も全く観られず残念。この映画、社会主義リアリズム、といえばそう。視点がどこか中上健次的でもあり。アタシは人が、それも性根は純粋な人がだんだん悪に染まり落ちてゆく態を描く物語は好き。何かのちょっとした悪事、それも偶然の産物の如きものがキッカケで転がるように。だんだんと悪事も悪事と思わず、と心に悪魔が住んだか、で最後も救われず。歌舞伎の芝居でもお夏清十郎、不知火検校、累、暗闇の丑松……といくらでもあるが、このLuis Bu?uelの映画、それがまた貧困層の十代の少年ら、の物語、悪の道から這い上がろうと更生しよう、とした主人公の少年まで結局は救われずに殺され、而も死体が破棄される、という、そういう意味では全く夢も望みもない世界。それが現実、としたらリアリズム映画か。ところで少年たちを主人公にしたこの映画、タイトルの“Los Olvidados”は、確かに「忘れられた者たち」だろうが、貧困社会で誰にも見向きも相手にもされぬ少年たちがボロボロになり死んでゆく、という意味。これを「忘れられた人々」の邦題はあまりに貧困な感性。舞台は第二次世界大戦後のメキシコシティ。物語の舞台はスラムの如き貧困層が住まう下町。だが遠くに1940年代末に高速道路の高架橋!に自動車が走り、少年が逃亡し徘徊するシティでは(貧しい少年はあやうく変なオジサンに買春されそうになるのだが)商品が溢れピカピカの自動車が市街を走る。第二次世界大戦の欧米の混乱の中で中南米がつかのまの繁栄をした時代、その中でも大きな貧富の差を、きちんと描いて見せているところはさすがLuis Bu?uel監督の腕の見せ所。いい映画。三更に銅鑼湾に寄りバーS。ご亭主に日本の土産でPeace煙草(箱入り)1カートン差し上げたら「とっておいたんですよ」とPeace煙草(缶入り)1カートン(10缶入り)の箱をいただく。Peace煙草の意匠ぢたいきれいだが箱がまた美しく、缶入りピース煙草の箱など、それぢたい珍しいのだが、それをとっておいていただいた。ありがたい。知己の客少なからず款語。近隣に住まうS氏とタクシー乗り合わせ十二時過ぎに帰宅。
香港島のStubbs Rdにある1937年建立の中洋折衷建築の豪邸・景賢里の解体工事進行(こちら)。宝田明の香港映画など数々の映画などで舞台となった風光明媚な建物、ピークに向う観光バスの客も思わず目を見張る建築だが長年、空家のままで老朽化進む。アタシは八月末だかに車でここを通ると引っ越し会社が家具など搬出しており、てっきり歴史史跡扱いとなり地権者が私物持ち出しか、あるいは7つ星ホテルへの改築か、いずれにせよ壊されぬだけマシ、と思っていたが、これが大間違い。で九月に入ると解体工事始まる。歴史保護団体やマスコミが大騒ぎ。政府は私有地として関与できぬ、と一旦は表明。だが慌てて歴史的建造物と指定し地権者との交渉始める。が最近、文化行政担当で脚光浴びる政府高官・林鄭月娥女史が折しも昨日の古蹟切手発行記念の場で暴露するに、この景賢里の地権者、土地建物の第三者への譲渡契約持ち上がり、譲渡数カ月前に香港政府に対して譲渡の話が持ち上がるが歴史的建物で何ら問題はないか、と諮問。これに対して文書受け取った行政長官府は文書を管轄である古物古蹟辧事處に回したが、担当部署の粗忽で早急なる対処怠り、地権者は政府の公式回答得られるまま土地建物譲渡。買い手はさっそく「再開発」。古蹟辧は人員不足で手が回らずと説明、実際にスターフェリー埠頭の解体など民意含め懸案事項少なからず。私有地である景賢里の建物は対処優先されず、か。いずれにせよ解体現場の惨さ。
蘋果日報一面トップで「十六?媽媽?子 十六???扮執到送院親兒當棄嬰」と記事あり。16歳の娘が妊娠し自宅洗面所で自ら出産、家族も娘の妊娠には気づいておらず、その子の父たる同い年の相手少年にどうしようかと算段。少年は友人二人と策を練り警察に「捨て子を拾った」と届出。警察は事情聴取で少年に不審な点があり問いただし少年は我が子と自供。……若気の至りか、ここまでは敢えて驚かぬが警察は少年を「與未成年少女発生性行為」(未成年少女との姦通)の罪名で逮捕し友人二人も「誤導警務人員」(警察への偽証)で拘留。未成年者の性交の善悪などアタシはここで問わぬが、「大人が少女を姦淫」で罪を問われるならまだしも、同い年の少女と交わった少年へのこの罪は適切かどうか。そして、ふと「生殖機能をもつ年齢」と「性行為が合法とされる年齢」の、この差に<近代>なるものを感じざるを得ず。
朝日新聞で論説主幹「もし「君が代」に二番の歌詞があったら」の若宮啓文君が「安倍首相の因縁」と題し「戦後」巡る村山政権との皮肉な対象を語る。93年の河野洋平官房長官談話や95年の村山首相談話に対して「自虐史観」「あれはアジア解放の戦争」と反発した自民党の若手タカ派議員の中核にいた安倍三世。村山富市君が首相になると自衛隊合憲、日米安保堅持と言い切らざるを得なかった如く、安倍三世が首相の座につき村山・河野談話を継承、と。若宮氏、あえて、安倍三世が靖国参拝見合わせ日中関係打開は「右派政権ならでは」と指摘し「村山談話への非難の声が政界で影をひそめたこと」を安倍政権の皮肉な功績、と。御意。首相の大任から降り安倍三世が靖国を堂々と参拝しようがしまいが、とにかく安倍ほどの右派でも首相となると靖国参拝できず戦争責任を否定できぬ、ということは今後の保守反動右翼の政権にとっては足枷となるもの。結果、戦後レジームの解消どろこか戦後レジームの強化、か。

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