富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-09-08

九月八日(土)台風一過。快晴。見事な青空と強い日差しのなか車窓から眺めれば坂東太郎の異名をとる利根川も水嵩増し河川敷まですっかり水に飲み込まれ上州はさぞや大雨越しかと思い知らされる。江戸川、中川も初めて見る水量に驚くばかり。荒川放水路、大川も然り。母と一緒に新宿駅でZ嬢と待ち合せ午前10時の特急スーパーあずさで一路、信州松本へ。中央線も国分寺あたりからの高架線工事続き国立の駅舎工事がどの程度のものなのか、と見ていたはずが見過ごして立川を過ぎ、八王子すら珍しそうに眺める自分に、大月あたりでふと気づけば松本は四半世紀ぶりとはいえ二度目で、新宿からの風景になにが珍しく感じるのか、といえば二度とも新宿からの山登り者多き夜行列車で昼行は初めて。宮尾富美子の『菊亭八百善の人々』読むつもりが山あいの桂川の流れに見惚れて甲斐がこんなに山深いかと驚きつつ信州へ。下諏訪から岡谷まで、よくぞ平成の大合併で「エプソン市」にならなかったもの。日立市豊田市があるのだからエプソン市があっても驚かぬ。昼過ぎに松本着。レストラン鯛萬に昼を食す。食事もそりゃ見事だがアタシが卓につくなりシェリー酒を頼みアタシ一人が白葡萄酒をグラスでいただき三人でお昼だからとChateauneuf du Papeの赤を半瓶でいただいたが、まぁ軽めの昼のコース料理に合わせ酒を供すタイミングの見事なこと。店を出るまで給仕の慇懃さの極み。さすが老舗。歩いて市街流れ鴨が遊ぶ女鳥羽川に面したホテル池田屋というこぢんまりしたビジネスホテルに投宿。松本という街、観光都市でありながらホテルは意外と可もなく不可もなく、でサイトウキネンのフェスティバル開催中で聴衆ばかりか演奏者、関係者だけでも数百人規模、ましてや三人という中途半端で「泊まりたい」というホテルに部屋を探すには難儀。ふと、シングルルーム主体のこの宿に和室あり、一部屋に6畳に8畳の二室なら下手なホテルよりずっとマシ、と判断したが正解。場所は女鳥羽川に面し至便、風呂も24時間あり、投宿の際にUSBに差すだけのWi-hiの端末貸してくれ和室でWi-hiも無料。大したもの。綿のシャツを買いにパルコの無印良品。部屋に戻って食べましょう、と開運堂でニッキ好きのアタシの好物、開運老松購う。ふらりと立ち寄った書肆秋櫻舎という古書店。狭いが文学、哲学中心に見事な品揃え。さすが松本で古本屋に売り出る本も充実なのだろうが、新刊書ばかりか対談集や随筆など幅広く、而も初版本多し。旅先ゆゑ本を買うとあとが大変、と思いつつ吉田秀和『音楽展望』1〜2巻、三島由紀夫の討論『東大全共闘 美と共同体と東大闘争』、吉田健一『三文文士』、嘉次郎監督のカツドウヤ紳士録含む『カツドウヤ自他伝』、すべて初版本で購う。会計し買った本を袋に入れて渡されると、ふと一冊多い、と思い取り出せば堀口大學訳のコクトーの『芸術論』が入ってる。黙って貰っていっちゃえば良かった、とアタシが言うと、積まれた本をアタシに一冊余計に渡してしまった書肆のご亭主曰く「大學の訳ばかりかなり数が出まして」と、これはその一冊。なんでも堀口大學訳の仏文学書ばかり蒐集の御仁あり、その方からの放出。てっきりご本人が亡くなった、とか想像すればさに非ず。ほとんど全ての大學訳の本を持っており、美本、上装本が入手できると多少汚れ、日焼けあり、のものを放出するそうで、それでもご亭主曰く一冊どれも一万円以上で買い取らせていただいたものです、と。まぁ世に好事家あり。ホテルに戻り浴場でひとっ風呂浴び熱冷ましにビール飲む。早晩、ホテルを出てしばらく歩き銀行前より浅間温泉行きのバスに乗り信州大学裏手の松本文化会館。サイトウキネンオーケストラの演奏会。小澤征爾指揮。NHKのBSハイビジョンでも生中継ありのBプロ。会場でサイトウキネンのこれまでの演奏からバッハの「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ」、ショスタコーヴィッチの5番のCD購入。母は毎年のようにこの夏のサイトウキネン訪れており今晩のも「取れたら奇跡」のこの演奏会でS席の13列目という上席ゲット。ありがたい。まずはラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。さすがサイトウキネン。曲のフレーズの抑揚ならいくらでも上手く聴かせられるだろうが、こういう静かな曲の静かな曲尾で、すーっと音が消えていく、あの静寂がどうだけけできるか、がオケの真骨頂の一つ、とアタシは思う。この今晩の演奏で、この「亡き王女の」の終奏聴いただけで痺れてしまうよ。ただ、この松本文化会館、初めて訪れたが、音響は今一つだろうが、とくに「亡き王女のなんて曲には不向き。ぜんぜん聞こえて来ない。そのうえ、やたら客席の聴衆の嚏や咳払いなどが反響して聞こえる、と気になったのはアタシだけかしら。この曲、カザルスホールとか昭和女子大とか、このオケでなら、どうかしら。続いてアンリ=デュティユーなる作曲家の「瞬間の神秘」。そして同じ作曲家のLe Temps L'Horlogeという曲はサイトウキネンとボストン、フランス国立管弦楽団との共同委嘱作品で今回が世界初演。ルネ=フレミングのソプラノ。アンリ=デュティユーご自身が会場に。アタシは武満徹だってからっきしわからねぇ古い人間なんで現代音楽はとんとダメ。コメントのしようもない。ただ「わからない」が本音。休憩時間には地元ホテルが葡萄酒のお振る舞いあり。大したもの。今晩の主餐はベルリオーズ幻想交響曲。2楽章あたりでここまで出しちゃっていいの?くらいに盛り上げてみせた小澤征爾は、それも実は余裕で、ここまで出すか、と幻想どころか狂想的な第4楽章を聴かせてくれた。演奏後に、とくにトロンボーンやチューバなど、ステージで肩を抱きあい喜び合う。感涙に咽ぶ団員もおり。小澤征爾が客の拍手の中、ステージを演奏者全員と握手してまわる。客のアンコール求める拍手に何度も全員でステージに戻り並んで頭下げて呼応する。アンコール演奏なし。不満の客もいるが幻想交響曲であれだけ聴かせてしまったらアンコールは野暮。あそこまで狂想してみせたのだから、あれでよし。伯林フィルなら「あれぢゃやりすぎ、音を出すというのはそういうことぢゃない」と言いそうだが、サイトウキネンはフェスティバルオケなのだ。松本文化会館、会場出ると寂しすぎ。巴里のオペラ座界隈の賑わい、香港のコンサート会場出てのヴィクトリア湾の夜景、とまでは言わないが茨城県民会館だって外に出れば目の前に公園、千波湖が広がり、その向こうの高台に水戸市街のパッとはしないが夜景広がる。ただ市郊外の真っ暗な住宅地じゃ寂し過ぎ。増発バスで市街に戻る。中町通りの若者で賑わうBUNという居酒屋に入り軽く飲んで夜食。この食肆の雰囲気、どこかに似ている、と思えば神楽坂のMASU MASUだ。若者がみな懸命に働く姿ほど凛々しいものなし。

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