富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-08-28

八月廿八日(火)早晩に西湾河。小腹が空き太安樓の基記水電工程の牛雑の串もの食べようと寄ったら夏は「牛雑暫停」とあり食い逃し近くの屋台で魚蛋一串。Z嬢に会うといきなり「立食いしたでしょう?」と指摘されドキッとしたらシャツにタレの沁みあり。悪いことは出来ず。成安街の珍香園で肉饅と葱餅。明記甜品で緑豆沙加湯圓。安くて美味。香港電影資料館。島津保次郎監督の『浅草の灯』(1937年・松竹)観る。十二階が六区の歓楽街の向こうにょっきり、ばかりか鴬谷の鉄道の跨線橋からも遠くの夜景に、で1937年の映画でも場面は大正の浅草、と「懐かしいねぇ」。で六区の浅草オペラの小屋を舞台に売り出し中のアイドル=演技が下手、は当然で高峰三枝子上原謙の主演。なにせ俳優役の(老け役になる以前の)笠智衆が渋い役どころ。カッコいい。この『浅草の灯』で杉村春子がオペラ女優役で映画デビュー。築地小劇場の一女優であった杉村が、性格のきつい浅草オペラの座頭役……ってほとんどニンどころか地で出来る役どころ。寧ろオペラを歌って踊る杉村春子に驚いたが考えてみれば広島から上京して東京音楽学校声楽家受験したくらいなのだから歌えて当然どころか、それなりに美声。むしろ、けして演技が上手いわけでもなく、あの「フンっ!」とした憎たらしい表情を生涯、演じ続け、昭和史に残る大女優となったのだから、立派。で「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」と文化勲章受賞断ったのは、さすが築地の出身、と最後は有終の美、か。あまりにも杉村春子の印象が強過ぎるが、小津の映画ではお馴染の斎藤達雄や西村青児がワキを固め、とくに斎藤達雄のどこまでが脚本でどこからが即興なのかわからぬ、飄々とした様が実にいい。でもね、アタシの贔屓は何といっても坪内美子(改め、坪内美詠子)。小石川の生まれで銀座のカフェで女給していたのをスカウトされての松竹蒲田入り、の美子ちゃんが浅草の歓楽街の射的屋に働く娘役なのだから、もう適役中の適役。ヒロインの高峰三枝子と別れざるを得ず失望のどん底上原謙が関西で新劇運動する笠智衆のもとを頼りに東都から落ち延びる時、この坪内美子が「あたしも連れて行っておくれよ」と、そりゃ上原謙じゃなくても「ついてきな」とそりゃ言ってしまうだろう。でこの映画、今どきの感覚からすると「えっ、こんな筋?」と言うくらい、筋は他愛ないというか、人物の描写など軽薄なのだが、でも昭和10年くらいの映画、テレビの火曜サスペンス劇場以上の量産で消費娯楽なのだから、あまり細かい注文つけちゃいけない。この映画に出る役者がアトになって大スター、名優になったからこそ、こうして今でも香港ですら掛かる、というもの。それにしても坪内美子が銀座のカフェの女給姿、ってそりゃ見てみたかった。で、まるで地味な邦画でブラック師匠のような映画三昧だが、油麻地のBroadway Cinematiqueに急いで向う。映画館に着くなり大雨。国際短編映画祭の「三島先生、是??? Is It You, Mr. Mishima?」で中村幻児監督『巨根伝説 美しき謎』は三島由紀夫と盾の会の姿をパロディでホモ映画仕立て。大杉漣が主演で三谷麻起夫役。三谷麻起夫先生が『ツィゴイネルワイゼン』にでも出てきそうな、あまりにもいわゆる文学者っぽい文学者で貧弱な身体なのが一瞬、三島由紀夫と似つかず違和感あるのだが、あくまでこれはフィクションです、で盾の会の制服のデザインといいクーデター計画の内容といい(市ケ谷でなく桜田門)どこか外してある妙。昼は軍隊的な訓練(といっても幼稚)を続ける三谷先生の私軍、それが一旦、夜になると隊員同士の乱交の凄まじさ、三谷先生も腹心の若者に「先生じゃなくて、麻起夫って呼んで!」「もっと突いてっ」と、いちおう、これでポルノ映画らしさ?か。三島由紀夫本人の死後とはいえ、それにしても失礼といえば失礼だが、あくまでフィクション(笑)。この私塾(いちおう軍隊だが)に入りたての若者と、それの指導役の先輩との熱愛、がいちおう映画の基本の筋、でこの二人が(以下、映画の筋、オチまで……でもこの映画を今後観る機会のある方も少なかろうし、敢えて書いてしまうが)三谷先生のクーデター=自害の当日の精鋭部隊に選ばれ、明日はその決行という晩に、三谷先生に「明日はもう散る命、今晩は二人で……」と励まされ、先輩のアパートで最期のコトに及ぶのだが熱中しすぎて朝の決行の集合時間に寝坊して間に合わず、で三谷先生のクーデターに参加できず「あ〜!どうしよう、死に損ねた」がオチ。本当にここのオチが描きたくて、この映画を作ったのだ、というようなオチ。個人的に好きだね。だがアタシなら、寝坊して目覚まし時計の時間確認しようとして慌ててテレビつけると、そこで臨時ニュースで三谷先生の警視庁乱入クーデターの実況中継、流したら良かった。「その二年後」の最後の場面が必要なのかどうか、疑問も残るが、死に損ねの二人の兵士がオカマバーで女装のママとチーママ、というのは、ちょっと筋としてやりすぎのようでいて、だが終戦直後にノガミの山には西郷さんの銅像のまわりにも南方から戻った兵隊上りの男娼が着流しで随分といたことなど思い出すと、この演出もありか、と思う。それにしても一晩で、なぜ香港でこんな稀な邦画が一晩で日本も観られるのかしら。幸せ。一時間の映画が跳ねるとちょうど雨歇んだところ。廟街の昔っからある?餅を立食いする。脂っこいが年に一度くらい無性に食べたくなる。今日は阿部謹也『日本人の歴史意識』読む。基本線は同著『「世間」とは何か』(講談社新書)で、それを歴史学者の目から、という感じ。明治に突然「個人」という言葉こそ輸入されたが個人というもの実際には知らず「世間」という枠の中で窒息していることも知らず、と。御意。
エドワード=サイデンステッカー氏逝去。享年86歳。今年四月に散歩中に転倒し外傷性頭蓋骨内損傷で昏睡続けた由。その散歩が上野不忍池というのがサイデンステッカー氏らしさ。知己のJB君が十八、九年前だったか、興奮した口調で話してくれたのは、その不忍池湖畔にて氏と遭遇し先生の上野のお宅に招かれたこと。氏についてJB君から聞いた逸話も今となっては貴重な記憶。

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