富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-08-18

八月十八日(土)嘉次郎監督の食の随筆を昨晩読んでいて、ふと自らの幼き頃のこと思い出す。嘉次郎少年と同じようにアタシも父が特急列車で父は自分が酒をのんびりと飲みに食堂車にアタシを連れてゆく。アタシにはチキンライスか何か注文してくれて海老フライか何かを肴にビールを一本、そして熱燗。海老フライなんてそれなりに高級であったから、それを貰えるのが嬉しかったし、やはり父のビールを大人を真似て飲んでみたりする。それでもすでに戦後は食堂車にスタウトなんてない、どころかレストランでも酒場でもなかなか出てこない。アタシは今はQuarry BayのEast EndFCCのバーの冷蔵庫にずらりと白耳義や英国のスタウトが並ぶから、それを眺めているだけでまるで画廊にいるみたいで愉しいのだが。で本日。朝、Z嬢と湾仔の龍門大酒樓。早茶で點心の飲茶はアタシらは客人のある時くらいのもの。昨日来港の客人の住まうサーヴィスアパートがこの近くがゆゑ。昨日午後からの炎天下。いくつか雑事済ませる間に昼過ぎとなり天后の天后?沙で蝦のラクサ食す。帰宅。午睡。天気のいい折角の土曜日でも怪我していては外を走って汗もかけぬしジムにも行けず。晩にZ嬢と湾仔の芸術中心で野村芳太郎監督の『砂の器』観る。中学の時に国語の時間、方言の話からS先生が松本清張の『砂の器』の話をされ、それがきっかけでその小説を読む。読み始め、癩病の話が出てきて、あ、この小説が「あの映画の」原作なのか、と知ったのだが、それほど映画が(まだ観てもいない)アタシに印象的だったのは加藤剛が演じる主人公のピアニストでもなく緒形拳演じる刑事でもなく、何といっても加藤嘉が演じた父と子が疾病を差別され放浪の旅を続ける姿のスチール写真だったか予告編だったか、これが脳裏に焼き付いたのは事実。であるからこそハンセン氏病の患者団体がこの放浪シーンや疾病の過去隠蔽のための殺人といったモチーフが偏見助長と抗議せし事実も理解できるところ。原作を読み、そしてこの映画を日曜夕方のテレビ名作劇場だかで見て、加藤嘉の父子がモチーフの一つである、と理解。いい役者がチョイ役でこれだけ出演する映画も稀。しかも社会派作品。70年代らしさ。ところでミステリーでどうしても納得できないのが決め手となる部分での「偶然」。この映画で言えば、近い将来に関わる犯人と刑事が偶然に羽越本線の急行列車の食堂車で遭遇するくらいは筋に直接関係ないので許すとしても、刑事が偶然読んだ新聞の随筆が迷宮入りしかけた捜査を解決に結びつける重要な手がかりとなり(その随筆に描かれた女性が犯行幇助)、銀座のバーでまた双方が遭遇し、伊勢の映画館での出来事も(被害者といい事件を追う刑事といい)偶然すぎるきらいあり。そして、この映画でも数回見ていると、実は、殺人犯である音楽家があの放浪の乞食父子の息子と同一人物、を確証する決めてがない(原本ではどうだったか、手許にないので確認できないが)。まだ存命であった父が二十数年ぶりで当時六、七歳であった息子の今の写真を見て「こんな人は知らない」と号泣する、それだけでその少年とこの音楽家が同一人物と断定して逮捕に至れるのはちょっと難しくないか。今さら三十年以上前の映画をどうのこうの言っても仕方ないのだが。ところで映画の冒頭、羽後亀田の駅を降りた、俳句好きの警部(丹波哲郎)に若い刑事(森田健作)が「何か一句、浮かびましたか?」と尋ねると丹波哲郎が「ちょっと浮かばない」と答えるのだが、この部分、英語の字幕は「インスピレーションがわかない」とあり中文字幕は「霊感がわかない」であった。丹波哲郎を意識しての訳か(まさか)。二更に藝術中心を出ると台湾南部襲った台風の影響か風強し。驟雨。遅い夕食済まそうと上海三六九飯店に寄るが爆満で永華麺家に食す。

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