富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月十五日(水)小雨。東京の最低気温摂氏廿九度が香港の最高気温。帰宅途中、北角街市に寄る。麺麭、水菓など購ふ。香港で何の変哲もなき路上の市場も徐々に排除の運命にあるかと思ふと早くも郷愁感じざるを得ず。帰宅して文芸春秋九月号読む。芥川賞受賞の諏訪哲史『アサッテの人』全く読めず。我が感性の欠如か。石原慎太郎村上龍の選評に同感(……と言ふとそれぢたひ感性の欠如?と普段なら嘲笑しさうだが)両君の指摘ご尤も。同誌に小林信彦井原高忠(元・日テレ制作者)の対談面白く読む。内容は本旨からすれば「いかに自分たちが活躍のテレビ黎明期が面白かつたか」であるが(それぢや読者の感心引かず)対談のタイトルは「吉本興行がテレビを駄目にした」となる(実際に「間接的な」吉本批判などほんの数行なり)。このセンセーショナリズムこそマスコミの、殊に菊池寛君の文藝春秋が世に広めたる弊害なり。最近、宅にて独り葡萄酒飲む習慣あり。どこの醸造所だの風味が黴だの土の匂ひだの柑橘系だのと五月蝿いこと言はずコップ(葡萄酒杯に非ず)に注ぎグビグビと好きに飲む。酔ひ心地良し。夕餉。先日バーSにて帰りがけにご亭主より「持つていきます?」と言はれしSpring Bankの12年物のボトル、僅かに酒が残り飲み干す。白倉敬彦『江戸の男色』読了。眠気逸し氏家幹人氏の『武士道とエロス』も一気に読む。
終戦記念日。安倍三世参拝取り止めも冷静な判断のやうだが「外交を考へると」と所詮、本心とは裏腹に外交問題になること考慮しただけの参拝遠慮に過ぎず。本来のconstitutionalな「一貫」に非ず。参拝されたゐなら参拝すべき。小泉三世靖国参拝。首相退任後あれだけ世捨て人気取りの人(参院選では公明党松あきら先生の応援などあるが)。個人の思想信条の自由ゆゑ靖国参拝ぢたひ批判はせぬ。が、ならば横須賀の町を歩くが如く一個人であるべき。リムジンで乗りつけ礼服姿であゝもたいさうに参拝すべきかどうか。NHKのNW9の終戦の日の報道。戦没者記念式典での安倍首相の登壇を見守る陛下の目線に厳しいもの感じたはアタシだけか。戦没の息子への「101歳の母の悲しみ」だの「絵手紙に見る戦士した兵士たる父」への息子の思ひなど報道も大切かもしれぬが、それより「反戦平和が大切」と直接述べるでき。良心こそあるゆゑ、その直接話法ができぬから「101歳の母の悲しみ」に主張「託す」がNHKの限界か。
▼白倉氏の著述。江戸の陰間茶屋の舞台子、陰子らが京大阪よりの「下り子」であり、上方の浮世絵師である月岡雪鼎の艶本『女大樂寶開』などには衆道の画ばかりか淫子の謂わば養成法まで記述あり
十三四より上は患ふても口ばかりにて深き事なし。これハ、若衆も色の道覚ゆる故、我が前ができると、後門を締める故、客の方には快く、又客荒く腰を遣へば、後門の縁を擦かし、上下のと渡りの筋切るもの也。是には、すつぽんの頭を黒焼にして、髪の油にて溶き、つけてよし。
といつたノウハウには驚くばかり。白倉氏はこの上方流の実証主義は「江戸っ子の「鯉の吹流し」では、こうは行くまい。第一、腹ワタがないのだから、忍耐力にも欠けるきらいがあるようだ」と指摘。御意。江戸浮世絵、春画では当代きつての碩学の著者がこの本を上梓する切掛けになつたのは『尻穴重莖記大成』といふ本(欠題本だが内題がそれ)が最近見つかつたが為。好事家以外には「それがいつたいどうした?」の世界だが日本の男色画が肛交ばかりであることに筆者かねがね疑問抱いたが『重莖記』で初めて口交の画と接し、またその書に巧みな?三人取組みだの満載で、これを世に紹介したかつた、と。著者によれば実は江戸の陰間茶屋は女客による役者買ひが主流で江戸時代通じて徐々に女色が広まつたことが陰間茶屋衰退といふ説も興味深いところ。ところで当時の陰間茶屋の「料金表」
直段昼四切夜四切         予約なし 昼は金四分=一両 夜も同じ
但しもの日は昼六切夜六切也    但し祭日は昼は金一両二分
○仕舞二両二分、片仕舞一両一歩    ○一日買ひ切り二両二分、半日は一両一分
夜一両一分外に小花一歩ツヽ    夜は半日でも一両一分に一分追加
当時、吉原の高級遊女を「昼三」といつたは昼の上げ代が金三分だからの由。それが陰間では金四分で歌舞伎の舞台子となると昼六切。いかに陰間の値段が高かつたか、と分析。たんに高尚な趣味だけに非ず、陰間など受け手とはいへ女郎と違ひ自らが「役に立たねば」商売にならず、で直段の「ちよいの間」と片仕舞=半日の料金がほぼ同じなのも道理。半日が一分だけ高いのは「予約料」といつたところ。而も著者の指摘通り陰子として働けるのが十三歳から四、五年の十七、八歳で女郎と違ひ陰子は年季明けでも行き場もなし、と思へば玉代が高いも当然か。世の中、経済なり。
▼氏家さんの『武士道とエロス』も面白い記載多し。一つ忘備録的に綴つておけば与論島で同性の親友を「アグ」と呼ぶといふ記述。これで瞬時、想像したのが中国語の「愛哥」。「哥」の字の意味は「兄」。「愛哥」はさしづめ愛しき兄貴。「愛哥」は現代中国語では「アイゴー」だが与論島に近い台湾語なら更に「アゴ」に近くなるか。邪推ではあるが。

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