富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-08-14

八月十四日(火)雨。ジムで一時間の有酸素運動済ませ帰宅。季節にはまだ早いが秋刀魚焼いて食す。萱野稔人『国家とはなにか』と松山巖『乱歩と東京』の二冊読了。前者は、その国家観にアタシは個人的に馴染む。非常に偏向した=学者なら許容できるが政治家や官僚にとっては「それを言ったらお終いってもんよぉ」な<国家の仕組み>なり。スピノザフーコードゥルーズ=ガダリらの国家論から美味しいところ抽出して著書の考える国家観に上手くまとめた感あり。最終章の「国家と資本主義」はちょっと解釈しきれておらず。それにしてもその章末がドゥルーズ=ガダリの『千のプラトー』からの長い引用で終わってしまったのには驚いた。後者『乱歩と』は「あと一つ踏み込まない」ところが多少物足りないようで松山巖の良さか。乱歩であるから、当然、そのレンズ、人形、少年といった偏愛や蒐集癖などいくらでも言及しようと思えば易いのだが、敢えて乱歩の小説に著されたものと1980年代の現実にある風景=東京の「都市の貌」にだけ焦点を当てて、それ以上は語ろうとせぬ。乱歩の『陰獣』と同潤会アパートの関係について(第5章:路地から大道へ)はさすがに著者の推論がかなり出てはいるが。ところで今となってはこの80年代の東京も、もはや過去の彼方。松山氏の撮影した多くの建造物がすでに存在せず。この『乱歩と東京』は1984年にパルコ出版からの刊行。著者はあとがきでパルコの増田通二氏に謝辞を述べる。当時、どちらかというとビジュアル系の出版社であったパルコ出版がこの『乱歩と東京』を出したことがアタシにもかなり新鮮であった。70年代後半から「渋谷の街を変えた」パルコがこの『乱歩と東京』出したのも皮肉か、と思ったが、その<パルコの渋谷>すらすでに鬼籍に入るかと思うと時代の目まぐるしさ。白倉敬彦『江戸の男色』(洋泉社新書)読む。著者は江戸春画研究の第一人者。同じ洋泉社から新書で上梓の『江戸の春画』は圧巻。江戸の性風俗は凄すぎ。江戸といえば氏家幹人氏からメール頂く。アタシの如き端末の読後感が著者ご本人の目にとまってしまうネットの時代。甚だ恐縮。
*掲載の写真は同潤会の清砂通りアパート(2003年取り壊し)。東京衛生博覧会サイトからの借用。

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