富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-25

七月廿五日(水)夕方、湾仔。皇后大道東でのビルの中に収まった公共市場建設で交加街の路上街市は撤収される由。バウハウス建築といえる湾仔街市の建物は取り壊される可能性大。ですでにGreeting Cardや利是袋の印刷屋並ぶ利東街は政府に撤収され「再開発」待つばかり。この一帯のこの急変に湾仔市集關注組なる市民団体組織され交加街の路上と近所の画廊にて活動展開中。「集団記憶」の保存でなく生活の場としての路上街市を残せ、と。御意。路上で青果、雑貨など扱う小賣店など、公共ビルの中のブースなどに店を構えても路上の「ちょい客」あってこその商売、家賃払ってまで営める筈もなし。湾仔の路上街市写した絵葉書購い募金に協す。永樂麺家に姜葱撈麺を食す。尖沙咀。香港美術館。先週の「清明上河圖」に続き数日前より明代の画家・仇英の款のある「臨清明上河圖」を展示中。さすがに「清明上河圖」に比べ参観者減り当日券もあり15分待ちで参観可。色彩も見事で精緻であるが、それ以上の感慨もなし。むしろ「臨」行列で参観の後、閑散とした次会場で東晉の王?による行書「伯遠帖」巻、唐代の閻立本「歩輦図巻」、北宋の李公麟「維魔演教圖巻」などゆっくりと眺め南宋の李嵩「?髏幻戯圖」や陳容「墨龍圖巻」など眺めるは余、独り。暇な監視員の雑談には甚だ閉口。王?の「伯遠帖」といえば王羲之「快雪時晴帖」、王獻之「中秋帖」と並び清の乾隆帝が書斎「三希堂」で眺めたという傑作の、その図巻。故宮美術館よりゆっくり鑑賞できるのは至福。建物としては全く面白みない芸術館。ペニンスラホテルにしてみればこの芸術館の存在がヴィクトリア港の景色遮断の悪夢。で港島側の眺め愉しめる点だけはこの芸術館の特典。殊に楼上の窓はフィルターがかり独特の色合いで夕方、西陽浴びた港島側のビルはこのフィルター越しに独特の輝き。続いてこれも先週に引き続き隣の太空館にて周凡天氏による「解剖世界名曲進入音楽世界」の講座拝聴。今週(四回目)はシューベルトピアノ五重奏曲「鱒」をテクストにしての「変奏曲」について。実際の演奏はEmanuel Axと馬友友によるquintetとCaspar da Salo Quintetの聴き比べ。講義内容は平易。帰宅して齋藤秀雄伝記の続き読む。
▼信報の曹仁超「投資者日記」より。ドバイについて。ドバイに建築中の超高層ビル Burj Dubai の高さが2,275フィートに至る。グラフにて原油価格の高騰示すかのようにビルも高くなる。80年代にUAE政府は石油資源枯渇前にドバイを中東のビジネスセンター、レジャーの中心にすべく計画立ち上げ2千億ドル投資。1989年のゴルフ場完成皮切りに海底ホテルだの大型ショッピングセンターだの建造続け、石油価格がHK$10からHK$80に高騰するのに合わせ都市開発も好調。2005年にはドバイの株式低迷始めたが建築ラッシュ続き。ドバイのビジネス投資分析の専門家によればUREのGDPは毎年11%の上昇続け2015年には1080億ドルに達する、という。石油依存どころか、すでにUAEGDPの74%は不動産、観光、小売業によるもの。石油は2000年にすでにGDPの10%にしか過ぎず2006年には僅か4〜5%という。ドバイの人口はわずか150万人ながらドバイの東西に広がるアラブ社会、人口15億人!の中心都市としての存在。2015年に向け更に都市発展が成功するか、バブル崩壊となるのか、と。
▼同じ信報に左丁山氏がマードックによるダウ=ジョーンズ買収ついて書いている。廿日のFT紙にDJ社株7%も有する家族のO氏が実名でマードック氏によるDJ買収がため高値での株買収について憂慮語っていた由。マードック氏がまだメディア戦略というタテマエあるだけ、米国の投資会社によるブルドックソース買収劇よか、まだマシかもしらぬが、資金さえあれば、のこの風潮。でFT紙も一ヶ月前だか論評で「立場こそ違えど世界で重要な信頼のおける経済紙」としてFTと対峙するDJ傘下のWSJ紙がもし編集方針が変れば世界のビジネス界にとって損失、と(FT紙は具体的にマードック資本による買収で紙面変質とは言及せず)。で左丁山氏曰く、WSJ紙といえば自由主義経済で保守派を代表し選挙では共和党支持。マードック氏によるDJ社買収に政治的背景があるかどうかは別としてもマードック氏といえば最近「左傾」傾向にありヒラリー夫人とも昵懇。来年の大統領選挙時にWSJ紙がヒラリー候補応援となれば、NYT紙が伝統的に永遠に民主党支持なのだから、(影響力のある新聞の政治的傾向がリベラルとなれば)誰がホワイトハウス入り果たすかも明らかでしょう、と左氏。
▼信報からの引用ばかり続くが(どうせあまり読んでいる人も少なかろうし日本語での紹介などアタシのほかないだろうから)、香港特区成立10周年でマスコミでコメント目立ったのが董建華と並んで財政司から失脚の梁錦松君。失脚は具体的には税制改正での自動車税増の直前に自家用車購入が世論の批判受けて、であったが、本人今になって「暴露」したのは、実は02年に香港が不況の極みであった時に董建華に対して梁君、香港ドルのPEG制度放棄を提案。これが北京中央の反対に遭い梁錦松君解任、と。信報のこの論文の書き手(名前失念)は、一国両制というが、中央と香港の利益が衝突した場合に香港の利益が犠牲となることは明らかで、董建華が北京の傀儡として香港を売ったようなもの、と手厳しい。が、確かに梁錦松のこの暴露を知ってふと思うのは、PEG制の導入が1983年で、ちょうど中英交渉の最中(翌84年に合意)。PEG制導入は明らかに中国に返還される香港の経済的安定保障するための創造物。だがよく考えてみれば実は香港ドルの保障でなく人民元安定が背景にあるわけで、たかだか「地方自治体の出納長」が国家経済の通過基盤にかかわるPEG制の継続の云々に口出し、は即刻、更迭、も当然か。だが梁錦松君、失脚でもちゃんと中国のオリンピック飛び込みの国寶、伏明霞嬢を妻に娶ったのだから金メダル。

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