富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-23

農暦六月十日。大暑。新界西貢のゴルフ場にてキャディー熱中症で死亡の由。当地の気温摂氏35.5度。朝日新聞加藤周一氏の夕陽妄語は「真夏の夜の夢」。もうこの夏恒例の題で何度=何年読み続けているのかしら。今夏は教育について。「ゆとり教育」と称して、ただ教科書を薄くし事業時間を短くしても、教科書の文章が濃縮され同じ内容の記載が短くなれば、子供はそれを理解するのがより困難になり理解度が落ちる、と。御意。その夕陽妄語の隣に梅原猛氏による河合隼雄の追悼文あり。これが良い。40年程前に小料理屋で一人、酒を飲んでいた梅原猛に中居が「二階のお客さんから」と手紙を届ける。表に「怨霊様へ」とあり、裏には「丹波の土蜘蛛兄弟より」とある。この丹波の土蜘蛛兄弟が丹波篠山出身のサル学者の河合雅雄と隼雄の兄弟である、と梅原先生は合点。いい話。いい話といえば、母よりのメールに、暑い最中、浅草の天麩羅や「まさる」訪れた母。ところが「まさる」は「本日近海もの入荷なし本日休業」の張り紙。ウチは東京湾でとれた近海ものしか揚げないよ」ってか。「まさる」はアタシは「タレ」が多いのがちょっと閉口したが、さすが江戸前。もう一つ、母より奈良斑鳩の懇意にさせていただくお寺の住職さんからのメールを転送される。「千の風になって」という曲、つい最近になり新井満氏が作者不明の英詩から訳し曲がつけられ、という曲の出自を知る。「死者が風に、光に、雪に鳥になってあの大空の中に生者と共にある」というのは「美しい詩」でしょうし、あの惨禍の被害者云々となると、もはや「何も言えない」。が奈良は斑鳩のある寺のご住職が敢えて、この曲について書いていらっしゃるのを母より送られる。ご住職曰く、
美しい発想ではあるが、親しい方を失われた方が心の整理もつかない中に「私のお墓の前で 泣かないで下さい そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を吹き渡っています」という歌を受け入れることが出来ましょうか。(先日、妻をなくされた)一年間家事一切についても妻から教育されたと言われる方にとって、家の何処かに、少なくとも自分の手が届き得る世界にいてくれているという認識以外の何物でもないと思います。何年か経ちますとこの詩の中に亡き人を生かし得ても、それまでは「お墓の中に」「お仏壇の中に」と身近に共に生きているのだという意識に支えられて生きておられるのだと思います。柳田国男さんが「祖霊は子孫の田畑の見える山の上におられる」と言われるように、世の中が時代と共に変化の部分が多くあっても亡くなった方への想いは変わらないのではと思います。「千の風」はややもすれば、忘れがちな祖先を想い出すために吹いている風と思ってお盆をお迎え下さい。
と。ヒトの逝去といえば、新潟の地震で10人目だか11人目だかの、地震が原因で亡くなった方が出る。被災地や甲子園の予選でも黙祷。亡くなった方は不憫だが、なぜこうも「祀られる」或いはマスコミに取り上げられるのか、とふと思う。生前はこういう方でした、と。同じヒトの死でも交通事故の場合「亡くなったのは神奈川県相模原市の56歳の会社員で」と済まされる場合も数知れず。同じ一人のヒトの死がなぜ扱いがこうも違うのか。ふと「加害者の存在の有無」が気になる。この新潟の地震といえば柏崎の原発での事故について。これも不思議。もし地震など天災が影響で同じ原発での事故が「中国や北朝鮮原発で起きた」場合、柏崎での事故でのマスコミの「冷静さ」に比べ、マスコミはどれだけ大騒ぎするか。Z嬢曰く、鳥インフルエンザでも韓国の養鶏場で鳥インフルエンザが発生した時に韓国から成田に到着の飛行機のシートを消毒していたが、それじゃ茨城の養鶏場で鳥インフルエンザの時に「上野駅で特急スーパーひたちの座席を消毒したか」と。御意。所詮、危機管理であるとか安全の認知などこの程度のもの。
▼香港身分証。IC身分証への交換が大々的に行われてから三、四年。ですでに合金の勤続チップ表面にサビが生じてデータ認識不能のカード現われる(笑)。粗忽。マイクロチップも香港で開発され世界中の交通機関で利用され大成功のオクトパスであるとか、実は十年有効の薄型電池まで内装されていると噂される日本国旅券であるとか、マイクロチップは「見えない」ことで摩耗や金属疲労といった物理的な劣化が防げているのだが、香港のIC身分証は金属面の露出で、これは登場当初より指摘された問題。それが現実に。

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