富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-22

七月廿二日(日)旅先に目覚し時計もつけずとも朝六時過ぎには目覚め七時過ぎホテルの餐庁にてクロワッサンと珈琲で軽く朝食済ます。雲一つなき快晴。猛暑猛々し。居室にて晝近くまで寛ぐ。孫文三民主義」続き読む。NHKの衛星放送で「熱中時間」なる番組眺める。日本全国の標高50mくらいの低山登山に熱中する加藤浩二なる登山家氏登場。アタシらのいま居る、この望廈山が標高60m、マカオにはコロアネ島にしろタイパ島にしろ、このような50m級の山いくつもあり。チェックアウトし手荷物一つ預け出街。猛暑の下、望廈墳墓。19世紀中葉の西洋人の墳墓少なからず。瑞典、独逸、和蘭といった国々の墳ばかりでプロテスタントかしら。炎天下。地場の中国式の墓石を眺め歩く。墓石に埋め込まれた顏写真、若い人の死にはどうしても目がいくが、同じような墓石で三人の若い男性の墓が三基並ぶ。1966年の「一二・三事件殉死者、とあり。1966年という年から文革の影響での左派「暴動」か、と察す。後ほど調べてみるとその通りで日本語ではさすが和仁廉夫さんがこれについて記述あり(こちら)。Ave De Sidonio Paisの通りに出る。晝をいぜんから一度食したいと思ったのがマカオにて「土生餐」=地場料理と名乗るRiquex?(利多自助餐)なる食肆。この通りにあるが場所柄これまで来る機会を逸す。今回は望廈に投宿し至便。晝の開店までまだ少し時間ありRiquex?の筋向かいにあるmercado superに入る。ここが市街中心部のPavilionなどよか葡萄牙食材など充実。Riquex?に晝を食す。古めかしい雑居ビルの奥、何の飾り気もない鄙びたセルフサーヴィスの食堂。客もマカオ土着の中葡混血の、老人、それも日曜の晝だというのに独り者少なからず。鴨飯、豚肉そぼろ、カルドヴェルデのスープ……簡素ながら美味なるマカオ風の葡混血料理は秀逸。炎天下、市街を繁華街に向け散歩。国父記念館の前を通る。庭に孫中山博士の銅像あり。孫文の「三民主義」読んでいたのも偶然なのだが。市街の荷蘭園大馬路(Ave do Conselheine Ferreira do Amaro)は三車線ほどの東北に向いた一方通行の通りだが基幹道路。それが坪石総合体育館前広場の拡張で道路遮断され迂回になっていて昨日かなり驚く。それでなくとも道路事情の悪いマカオでこの基幹路遮断とは……。それが今日、そこを歩くとなんと広場を潜る、それもわずか300mほどの距離に地下道路建設しており今日がその開通。いやはや。禮記で小豆の凍菓子を頬張り涼を得る。市街中心部(Centro)の恐ろしい数の観光客の間を縫って澳門珈琲に辿り着きエスプレッソ喫す。Centroの路地の美味な珈琲供す店ながら日曜の午後だというのに閑散。それに比べCentroの星巴珈琲の混雑。奇を衒った珈琲が人気、ということ。關前正街の路地など少し歩き、Pavilionスーパーで食材買物(晝にRiquex?の近くで見つけたスーパーには寄れず)。ホテルに戻ろうと8系統の路線バスに乗ればマカオらしく市内ぐるぐると、海軍倶楽部の前は三度も抜けて!ホテル近くへ。荷物受け取りフェリー乗り場行きのバスが通るバス停へ。ここに普濟禅院(観音堂)あり参拝。また市内をぐるりと周遊しフェリー乗り場へ。香港へのフェリー、余は予め前売り券購入していたが、当日券は増便があっても90分後という混みよう。17時45分発のフェリーに乗ると素晴らしい快晴で大気も澄み渡り東の水平線に香港のランタオ島がくっくりと眺められる。フェリー出てしばらくすると今度は屯門市街の高層マンションまで一望。驚愕。ランタオ島の山々の勇姿間近に眺めながら香港に戻る。
▼米国政府がライターは航空機でのテロ行為に直接の危険性が見られないとして飛行機登場の際のライター持込み禁止を緩和。日に処分されるライターの数が(米国だけ?で)22千個、その処理利用に(年間だろうか?)四千万米ドルかかるとうな(風呂に入りながらニュース聞いていたので数字曖昧)。テロ、テロと馬鹿騒ぎ。

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