富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-10

七月十日(火)連日の快晴。明後日が参院選公示だが、この日剰だと明日の日記が出る時にはすでに公示後なので今日の内に言っておくがアタシは参院選挙では「9条ネット」の天木直人氏に投票しよう、と決めている。レバノン大使でありながら小泉三世のイラク派兵に反対の声を上げた勇気。集団的自衛権については政府自民党有識者集め(どこが有識者だか疑いたいが)柳井俊二なる前駐米大使を頭に従米奴隷根性丸出しで集団的自衛権の認定などしているが、そういう危険な世の中であるからこそ、せめて「良識の府」として参院には良識ある人を送り出したい、と思う。本日、早晩に九龍塘。政府のハイテク香港計画で出来た「ただの器」のInno Centre(創新中心)なる場所で香港回帰十年記念の写真展あり。それが明後日までなのでわざわざ見に行ったが写真パネル、スクリーンのレイアウトは面白いが大したことない。午後六時前後で客はアタシだけ。客がいないのでレセプションも職員不在。おかげで勝手し放題。ショッピングセンター嫌いのあたしが珍しくフェスティバルウォーク(又一城)徘徊。Page One書店でHenri Cartier-Bressonの写真集眺める。写真集も欲しいが写真集にHK$1,200とか安いのでHK$600とか使うならアタシならカメラのレンズとまでいかなくてもカメラのアクセサリーを買うだろう。帰宅して晩飯。薩摩の名前失念の芋焼酎飲む。文藝春秋八月号で永六輔「テレビが王様 恥ずかしい国点日本」を読む。文藝春秋は、いかにも文春っぽい文化人が書いているものはつまらないが、本来であれば反文春的な、井上ひさしとか永六輔が出て来て語る時が面白い。永六輔曰く
テレビのワイドショーに出る政治家たちの売名行為。何の芸もないのに偉そうなコメンテーター。裁判所のようなスタジオ。事故あらば目撃者としてテレビに出たい一般市民。永六輔自身テレビ黎明の頃は「テレビなんかに出て」と言われた、その含羞。人前でモノを食べることの恥ずかしさ。それがグルメとか食べるシーンだけの番組ばかりの世の中。露出狂の世の中。永六輔は「寅さんから日本はおかしくなった」と言う。表と裏のあった時代。それが寅さんが市民権を得たあたりから奇妙になった、と。恥ずかしい、という感覚の欠如。「美しい国、日本」なんて言うことが恥ずかしさのない証左。
その通り。寅さんの「男はつらいよ」も森川信の出ていた8作目くらいまでが裏街道の寅。京都でラブホテルの女社長する寅次郎の実母(ミヤコ蝶々)が排除されたところで、この映画はもはや毒にもクスリにもならなくなった、とアタシは思う。永六輔の語る話で澤村貞子の逸話がいい。まだ幼かった永六輔が浅草の街角で澤村貞子に出くわし、つい大人の真似をして「どちらへ?」と尋ねたら澤村貞子はえらい剣幕で「余計なお世話だ。どこへ行こうが勝手じゃないか。お前さんが言えるのは「行ってらっしゃい」だけだよ」と仰った、と。さすが。
▼昨晩、政府廣播處處長(Director of Broadcasting)朱培慶君、先週末の水商売の女性との情けない醜聞にケジメつけて、辞職(蘋果日報)。米国総統は白宮の中での「具体的な」情事も許されるが、さすが我らが儒教社会、か。銅鑼湾の会員制クラブでプライベートなパーティに参加だそうで、いったいどういった性格のパーティで(場合によっては贈収賄の可能性もあり、と憶測もあり)、何の目的でのこのホステスとの外出か、それには本人も一切触れず。辞職記者会見の間ご本人は終始笑顔で“The only comment I would make is that alcohol is not very conducive to good behaviour. So my advice has been drink less”と締めくくる。意外といい演出(今後この人、ラジオとかコメンテーターで活躍であろう)。香港電台の今以てゴッド姉ちゃんたる張敏儀は文書で香港電台の後輩たちに、朱培慶君の失態は失態として彼のこれまでの功績と醜聞後の毅然とした態度を誉め、香港電台が今後も士気気高かれ、と声援。それにしても気になるのは今回の醜聞が朱培慶君狙った仕組まれたスキャンダルじゃないのか、という事。朱培慶君は立場は政府で香港電台を指導監督する廣播處のトップ。日本でいえば総務省情報通信政策局の局長クラス。日本でも公共放送としてのNHKと政府与党の政治的介入が問題になるが、これは香港も同じ。だが香港の廣播處と香港電台の関係が面白いのは廣播處のトップに香港電台の生え抜きが就任していることで(これは張敏儀女史も同じ)、香港電台のスタッフが政府の政治的介入反対訴える活動(Save RTHK)に朱培慶君もこの5月に参加して「?!」と訴えていた由。日本で総務省情報通信政策局の局長が「NHKの公共放送としての独自性」なんて言及したら、すぐに麻生太郎君あたりに呼び出され叱られるはず。今回のこの醜聞が実は香港電台潰しの一環だと興味深いのだが。
▼「?」は広東語。北京語ならさしづめ「扛」で「担ぐ」「担う」の意。
▼香港が特区成立十周年と胡錦涛首席迎え香港や大陸の芸人ら多数出演し大宴会にうかれてた六月三十日の晩、英国のオックスフォード大学のBalliol Collegeではクリス=パッテン卿の主宰で晩宴催されたり。オックスブリッジの伝統に則りブラックタイで正装の賓客らも百四十余名が背凭れもない長椅子に腰掛けての晩餐。パッテン卿の畏友で十年前の香港返還の直前に首相離職のJohn Major君筆頭にGeoffrery Howe君、Douglas Hurd君といった外相経験者や北京で客死のヨード元総督の夫人、Anson陳方安生女史の前任の布政司Ford君や勿論、英国で香港といえばこの女性あり、で?蓮如女男爵も出席。ドキュメンタリー「最後の総督」製作のJonathan Dimblebyや中英交渉時の英国註北京大使Robin McLaren君なども参加。でテーブル毎に当時の逸話など語りながらの大学問、とこの晩餐の様子を伝えたのは、その会に香港より参加の張敏儀女史(六日の信報に一頁大の手記掲載)。さすが。オックスフォードのOBで現在、校監務めるパッテン卿はBalliol Collegeの院長に、この晩餐会開催できたこと謝辞。このカレッジより歴代の三人の総督が出た由。その中で最も長く総督の任にあり功績も偉大なのが「待ってました」のMacLehose卿。パッテン卿は末代の総督就任の当時を振り返り、自分にとって最大の遺憾は知己の中国人が非常に少なかったこと、而も彼らの中には実に巧みに英語を解す者がいたのに、と後悔。また香港で政治を担うリーダーたちの中で倫敦の英国議会の「ウェストミンスター的な思惟と言語」で思考できる者が少なく、行政局や立法局の議員の中でThe Economistすら読んでいる者が少ないことに驚いた、と語ったことも興味深い。パ卿は、この晩餐会当日のフィナンシャルタイムス、デイリーテレグラフといった新聞の論調が香港のこの十年の経済的繁栄には言及するが普通選挙などに指摘及ばぬ点を指摘、香港が民主化されることを望む、と述べる。この晩餐会の最後に、映像メディア界に従事している、パッテン卿の娘Alice嬢製作による十数分モノの十年前のビデオが流されたそうな。最後は「私は香港人がいつか香港を自治する日が来ることを信じる」という言葉で結ばれたそうな。あー、めでたし、めでたし、としかアタシは言葉がない。中英は永遠に共通認識で合意なんて出来るはずもなし(実際にもう必要ないのだが)。だが同じ日の晩に湾仔のコンベンションセンターで開催された下品な歌舞音曲のショーと、オックスフォードの地味な大学問の晩餐会の、どちらにアナタは参加するか?と言われたら、あたしは後者を選ぶ。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/