富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-09

七月九日(月)気温摂氏33.4度。だが内陸の広州であるとか重慶、北京なんかの暑さに比べれば海沿いで而も南洋独特のアーケード建築や高層ビルの日陰多く「歩く距離がとても短い」交通の至便性考えれば、まだマシかも。それにあたくしも最近は堂々と炎天下を雨傘さして歩いている。久々に早晩にジムで一時間の有酸素運動。竹馬の友よりのメールでI君もJ君も病気の総合商社みたいな状況であること語られトラホームに胃潰瘍と立て続けに来たような不調がアタシだけじゃない、と思い知る。あたくしもこれで運動していなかったら完ぺきに終わっているだろう。帰宅してドライマティーニジャックダニエルがショットで二杯分くらい残っていたので「気が抜けちゃう前に」と飲み干す。気がつくとスミノフのウオトカも一杯分あり。それも飲む。夕食。ふとビートルズの赤盤、Help!で始まる二枚目を聞く。You've got to hide your love away が聞きたくなったのだ。ここ十日ほどの新聞の切り抜きを一つ一つ読む。返還十周年で記事多し。先週土曜日の宴会で話題となったのだが十年だから偶然十年が話題にのぼるわけで(かりに九進法だったら9年目が話題になっていたのだ)、寧ろ?小平の経済改革で三中全会から三十周年の来年のほうが中国の経済改革が右往左往しながらも三十年も続いたことで注目に値する、という話となったもの。東京大学のK氏の論文にも学ぶべきところ多いが、アタシが思うに、一国両制とか言うが、つまるところ、中国にとって資本主義の香港を懐に入れることがいかに実益があるか、ということを考えると英国からの香港の取り戻しというのは単に植民地という屈辱的なものの奪回だけではなく、寧ろ香港を取り込むことで共産主義国家でありながら堂々と資本主義が国内で実施できることの実利こそ?小平的には魅力であったのではないか、とふと思う。
▼恩師・謝劍先生が信報に「七七事変七十周年」と日本の戦争責任について言及。単なる反日ではないし我々は寛大であるべき。ただ歴史の事実は忘れぬ……と。なんでこの先生の書くもの読むと、いつも溜め息なのかしら。
▼英国前首相のブレア君の報道担当官が手記“The Blair Years”の中で、ブレア君がイラク戦争発動の一年前に支持率低落のため一旦は首相辞任と続投断念も検討したこと、と暴露。米国が対イラク戦争を近い将来起し、それを英国が支援という「反テロの作法」がまさか続投決意の段階で決まっていたとは思わぬが、結果的には「反テロ」で十年も政権保たせたのだからブレア君にとって「テロさまさま」であろうことだけは確か。
親中派御用政党・民建聯が昨日、党創立15周年記念パーティ開催(蘋果日報)。政府からは財政司の曽俊華が出席し「民建聯は親密な戦友」とまで宣う破廉恥ぶり。曽俊華は「自称政治家」Sir Donaldの子飼いであるから曽俊華の参加は実質的に行政長官が御用政党の祝賀に訪れたようなもの。「天安門事件の虐殺はなかった」発言ですっかり男を上げた党主席の馬力は「広州での抗癌治療のため」党の周年行事でありながら欠席。録画ビデオで挨拶。かなりの憔悴ぶり。呆れたのは前主席の曽?成。自らが03年に23条立法での失言と区議会選挙での民建聯の大幅な議席喪失の責任取り主席辞任の前歴も忘れたかノーテンキに週末の播處處長の醜聞をネタにしてのトーク演じて楽しそう。民建聯、所詮は北京中央のバックアップあってのキョービの存在。みずから民意で推挙され議員になったでもなく日本の自民党的に地盤、カバン、看板でドロドロの選挙戦い抜き議員になったわけでもなし。それでこのノーテンキ。程介南、曽?成、馬力と主席三人が相次ぐ失言や脇の甘さで民意の反発買い、実は北京中央にしてみても「オマエらがもっとしっかりしていれば07年の普通選挙かて実施てきたものを!」と忸怩たる憤慨あろうことも、民建聯の諸君らは全く理解しておらず。情けない。
▼信報が先日の「自称政治家」Sir Donaldによる組閣で公務員からの抜擢での現状分析し政務官(公務員上級職)の人材不足を指摘。若手登用と言えば聞こえが良いが首長級(D8)にD6級からの昇格(税関長から廉政専員へ抜擢の湯顕明など)や邱騰華など政府新聞処の処長(D4)から環境局局長に出世。経験不足懸念。ところで、「はっ、と思い出した」のが林煥光君のこと。先週木曜日に中国銀行のエレベータでやたら愛想のいい政府関係者と遭遇し「中国銀行のビルに用事とは梁愛詩女史の事務所にでも顏を出したか」と勘ぐりながら「この人は誰だったか」と思い出せずにいたが、この人材不足記事で若手登用の前例として40代前半で公務員事務局局長に抜擢、と林煥光君のこと言及あり。董建華の行政長官?公室主任にまで出世したが2005年に愛人との東京蜜月旅行を雑誌にスクープされ辞職。だが、そのホトボリも冷めぬうちに08年の北京オリムピックの香港での馬術競技開催でその準備団体のトップに就任。かなりの女たらしで牝馬の扱いは巧みか、と嗤われる。

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