富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-06-19

陰暦五月初五。端午節。昼まで金鐘で高座に上がる。尖沙咀。天祥カメラ店にライカM型のライカ純正皮カバーが入荷しており一瞬食指動くが躊躇。尖東の一平安にてタンメン食す。夏風邪に罹ったようで悪寒してサマーセーターなど着ていたら女給がクーラーはさすがに弱めないが熱いお茶をさっと供するなど、この店は核シェルターのように地下に潜っているが美味いしサービスもしっかり。科学館でオーソン=ウェルズの『市民ケーン』の映画。科学館満席で札止め。劇場で観たのはあたしはこれが初めて。一言でいえば、やはりあたくしには「物語として何が面白いのか、わからない」。あの重層的な時間並び替えの脚本、そしてキャメラがもしなければ実に面白みのない作品なのだろうが、演出とカメラで映画がどれだけ面白くなるか、を証明してみせた点で歴史に残る作品なのは確か。1941年公開のこの映画を小津安二郎は1943年にシンガポールで撤退した米軍が残したフィルムで厚田雄春と観たそうだが、日本での『市民ケーン』の劇場公開は小津が観てから23年後!の1966年。小津は戦後「チャップリンが62点ぐらいだとすると此奴は85点ぐらい」と評し、パンフォーカスもローアングルも『市民ケーン』の影響と言われる。夕方、上環。MTRの上環站の「封印されたホーム」がとても気になる。これが東都の営団地下鉄の謎、と違って、コンコースから港島線のホームに向う途中に通る設計だから、余計に気になる。将来の上環以西への延長が目論まれたために80年代の開業当時からこのホームを設計していた、という噂もあるが、たんなる延長なら現状のホームで済むわけで、上環以西は採算でいえば現状の地下鉄延長は無理なので空港など走るような小型の鉄道でいいという構想もあり、それならこのホームも活きるだろうが二十数年前にそんな構想はなかったわけで、さらにこの封印されたホームへの疑問は深まるばかり。封印、といえば尖東の一平安のある幸福中心も焼き鳥の五味鳥のある地下1階、一平安が防空壕のようにひっそりと潜む地下2階の下に更に地下3階があり、かつて若者相手のディスコティークがあったのだがおクスリの売買などでたびたび警察の御厄介になり閉業。ここも地下3階に降りるエスカレータから「まるで放射能拡散防止のため」のように鉄板で完ぺきに封印されていて、ここも気になって仕方がない。で、話は戻るが上環で、ある仕事のお手伝い(録音の編集)済ませ帰宅。親子丼。円安続きで123.46円。先日、123円でもう円安は頭打ちかと踏んでいたので122.94円で円を新品のノクティルックス2つ分くらい買ってしまいちょっと焦っている。でBloombergの経済市況を観ていたら突然「ピンクの背広に而もあり得ない黄色の派手なネクタイ」姿で現われた体格のいい日本人がいちおう意味は通じる程度の英語で日本経済を語っており「いったい何奴……」と目が点になって見入ってしまったがKotaro Tamuraと名前が出て田村小太郎?って誰よ、と思って調べたら鳥取県選出の参議院議員内閣府大臣政務官(経済財政政策担当)の田村耕太郎という政治家であった。鳥取県ボディビル連盟会長。どうでもいいけど、そのセンスで世界に発信はどうにかして、と切望するが本人はかなり派手なコスチュームがお気に入り。プロレスラーならいいが国会議員だ(同じようなものか)。
▼『信報月刊』の五月号と六月号を読む。五月号は創刊三十周年記念号で御祝儀的な記事並ぶ。六月号は香港返還十周年特集で香港大学法学部の碩学・陳毅弘教授の「基本法と香港の実践」と題する分析が秀逸。陳教授はまず香港基本法と連邦制国家の自治制度を比較し、連邦制国家の自治権は香港基本法が最終的な法解釈を全人代常委にあるとする点で司法の独立については連邦制国家の自治に見劣りするもので、民主制度についても首長や立法議会選挙が普通選挙であるのが連邦制自治の原則であることを指摘。但し自治「範囲」については貨幣政策や関税、法律の独自性からみて香港の特区制度が連邦制自治に比べかなり広範であること(中国の国家法律の99%が香港で適用されない、と陳教授は指摘……1%が気になるが)。でこの10年を振り返れば、まず香港市民の大陸生まれの子女の香港居住権について香港の最終法院が居住権ある判決を出した1999年の1月が分水嶺。香港特区の司法は当時、勇み足もあろうが司法の独立の前提で「香港特区に関する全人代の判断が基本法に違反するかどうかの解釈まで香港の司法ができる」と思ったようなところがあり、これに中国の御用法学者が怒り、そこまでは良かったが、その後に大きな影響を与えた問題点は、本来、基本法では一定の状況下で香港の最終法院が全人代に対して基本法の法解釈を求められるとあるのに、この居住権について香港政府が全人代に対して法解釈を求めてしまったこと(基本法には香港政府がの香港最終法院の代行を出来るようなことは書かれていない)。これによって全人代は香港基本法の解釈に優越性をもってしまったこと。香港の司法も、その後、国旗の侮辱などを禁じた国旗法が香港基本法に謳われる思想信条と言論の自由に抵触するかの判断で「言論の自由は公共の利益に見合うべき」という判断を示すなど、法の独立の前に国家ありき、か。だが陳教授曰く、いくつかの問題はあるが総じて、香港の自治について中国の意志が尊重されることは当然で香港の人権水準は降下しておらぬし香港特区での民主制も直接選挙の議席の増加などゆっくりではあるが進展しており、それを評価すべきである、と。御意。
▼その信報月刊六月号に今年1月に逝去した柯在鑠について息子の柯小衛による追悼記があった。柯在鑠は1940年代から左派系の中国青年運動に加わり中共の国際学連などの活動に従事。香港返還に関する中英合同連絡委員会の中国側首席代表。この記事に柯在鑠本人の民国38年3月発行の「中華民国」の旅券の写真が掲載されているのだが、これは1949年に巴里(或いはストックホルム?)で開かれた世界平和擁護大会に柯在鑠が中国代表の一人として参加した時のもの(団長は郭沫若)。それが何が興味深いって、あなた、その1949年3月に発給された中華民国の旅券の発行機関の長官の署名に「葉劍英」とあり印鑑も「葉劍英印」の四文字。これにはあたしも驚いた。葉劍英といえば広東省梅県出身の中共大元帥の一人で今更説明するまでもなく中共の大物。1949年10月の建国前の3月になぜ葉劍英が中華民国の旅券の発行者になっているの?と不思議に思ったが、旅券の朱印がよく見ると「北京市人民政府印」と読めて、葉劍英は調べてみると1948年12月からすでに中共が制圧した北京(当時は北平)で北平市委第一副書記。面白いねぇ。中共が国家政府として成立前にすでに北京ではタテマエ上は中華民国でも共産党がすでに旅券発給までしていたとは。而も中華民国の旅券なのに「北平市人民政府」が発行しているオマケつき。更にオマケは厳密には中華民国政府(現実にはあってないようなものだったろうが)は北京市の人民政府なんてものを認可しておらぬだろうし、地方自治体に本来、旅券発給の権限なんてものはないはずなのだが、柯在鑠を含む郭沫若らの一行は「中共系の北京市人民政府が発給した中華民国の旅券」で巴里まで行っているのだった。第二次大戦後でしかも国共内戦の混乱期で「なんでもあり」だったのね。

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