富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦五月初一。金鐘のPacific Placeの中を抜ける時に、あ、もう夏だな、とふと思う。そう思った何が季節の風物詩か、といえばABCであった。
くちゃくちゃとガムか米語かABC
六月も下旬になると香港でクチャクチャと耳障りな米語を耳にするようになる。不愉快でそのクチャクチャと耳障りな米語の主の顏を見ると、みんな吉田秋生の米国、ことに西海岸を舞台にした漫画に出てきそうな、ちょっと目の吊り上がった若い彼ら。これ見よがしにクチャクチャと耳障りな米語で話している。金鐘〜尖沙咀間のMTRと、このPacific Placeによく発生する夏の、まるで昆虫。米国で学校が始まる八月下旬になると香港から姿をくらます、ともう初秋。遅晩に至る、が夏至をまえに日も長く七時半もまだ明るい。帰宅して軽く晩飯。昨日の朝日新聞で久々に岸田秀氏の評論を読む。あたしが17歳の時に、結局一番の親友となった、ロックバンドでベース弾きながら大宰の桜桃忌が気になるK君に「面白いよ」と紹介されたのがあたしの岸田秀の最初。当時、岸田秀はまだ映画監督になるまえの伊丹十三が責任編集していた『モノンクル』なんて雑誌に書いていた記憶。で『ものぐさ精神分析』を読んで、その日本人は温い江戸時代から外圧によって大人となることを強制されて、頑張って大人になったつもりなのに云々といった精神分裂した日本人像に、とてもすっきりした記憶あり。石原慎太郎とか、この理屈で見るとわかりやすい。で昨日の朝日新聞では岸田秀先生は「安倍改憲は「自主」なのか」と題して「米国に隷属する現状を直視せよ」と論ずる。先生は日本の歴史を外国崇拝の外的自己と排外的で誇大妄想の内的自己の葛藤である、という自説を紹介して、戦後は日米友好で内的自己を否認したが、これは欺瞞であるのは明らか、傷つき疼いた内的自己の自尊心。そこに安倍政権が登場する。その改憲はあたかも内的自己の立場を尊重し国民の自尊心回復するためのようだが、岸田秀曰く、所詮、日本が米国の属国であるかぎり改憲も米国の許容範囲内でのことであり、むしろ自衛隊の海外派兵も容易にする改憲は米国の要請か、
今の憲法が押しつけ憲法であることは確かだが、現状で改憲すれば、これまで以上の押しつけ憲法になることは明らか
とする。それを隠蔽し恰も自主憲法を目指しているかのように説く卑怯なウソ。岸田先生はシニカルに、日本は米国の属国として隷属的に生きてゆく他はないのなら寧ろ、その現状で最大の国益を考えるべき、と。目を逸らすな、自己欺瞞に陥るな、と。本当は自ら何もしておらぬのに恰も自主であるかのような自己欺瞞こそ、そこから抜け出す道筋を見えなくさせ、隷属している自覚を麻痺させ、結果的に屈辱的隷属を永続させるだけなのだ、と。……まるで、こりゃ魯迅の阿Q精神だよ。Alfred Brendelの弾くリストを聴く。
朝日新聞の国際面でブータンの特集。来年にブータン初の総選挙に向けた民主化の話で「敬愛される賢明な国王がいる立憲君主国という意味ではタイに通じる」と。日本も同じ。石原慎太郎とか米長邦雄とか「危なっかしい」人が威勢を張ろうとするが、国民から敬愛される、戦後の日本の民主主義の象徴の陛下が賢明さで日本をぎりぎりのところで救う、といったような具合。
▼英国首相のブレア君引退間近の講演でメディア批判(12日)。報道のセンセーショナリズムを指摘しブレア政権にとっては批判の急先鋒であったThe Independent紙を名指しでnewspaperでなくviewspaperであると揶揄(全文)。……とここまでは昨日の朝日の国際面で読んだのだが、これじゃ対岸の火事を眺めているだけ。同じ昨日の信報のペタ記事では、その名指しで批判されたThe Independentの編集長であるSimon Kelner氏による同紙一面での反論を紹介。Kelner氏曰く、ブレアはThe Independentの立場に不満のようだが、それは同紙の取材の手法に対して、でなく、もし同紙が英国のイラク征伐やコソボ紛争介入を支持していたらブレアは同紙を批判してだろうか、と一蹴(こちら)。同紙は編集権の独立を維持し如何なる政治的圧力にも屈せず狭隘なる政治屋の見地を矯正するものであり、報道に徹し政治家を誹謗中傷するものに非ず、また同時に読者に対して真摯なる同紙への評論、多事論争を求む、と。天晴れ。日本の新聞もThe Independentか信報くらいのレベルであればいいのに。
全人代の呉邦國氏の香港自治に関する発言が何だか末日論の如く香港震撼させている(と報道されている)が劉健威兄が信報の随筆で一刀両断。痛快。劉兄曰く「中国の統治は一定の成功を治めている。があと520年は待たなければならない」と。中国には憲法があり香港には基本法あり。だがいずれも飾り物で最も重要なのは「法の解釈権」で誰れか権力にぎった執政者がそれを弄ぶ。憲法基本法もなく、あるのは家法、と。一国両制だの五十年不変、台湾人は聡明で、一国両制などそう易々とは信じず、台湾は独立派だろうが民主派だろうが、とにかく誰も中国との統一だけは願ってもおらず。呉邦國の発言は台湾人をさらに中国から遠ざける。家法は、中国数千年の伝統と劉兄は結ぶ。御意。

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