富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-06-10

六月十日(日)夜来雷雨甚し。紅雲警報発令の由。昼まで自宅にて雑事。昼に北角でフェリーの時間までちょいとあったんで渣華道街市向いの回味古法清湯?で牛?河粉でも食べようか、と思ったら別な店が営業中。いつの間にか閉業の由。残念。馬寶道の豆腐屋・徳興隆で鍋貼(肉餃子)2個と豆乳。フェリーで紅?。ジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。フェリーで北角に戻る。書局街の十三座牛雜が歐陽應霽君のテレビで紹介されたこともあろうが繁盛で店が新光戯劇のビルに移転して営業中。牛雑は一串6ドルと1ドル分他の店より強気だが実際には8ドル分くらいの量で味も確かに他の牛雑よか、やはり美味い。牛雑といえば西湾河の太安樓の基記水電工程の牛雑もしばらく店を出していなかったが(電気屋のくせに店のカドで牛雑など売って行列が出来ていては衛生署の取り締まりも当然か)また再開していて昨日、牛雑を一串。ここも美味いがそりゃ十三座牛雜は専門店。北角をふらふらしていたらQuarry Bayの金峰??粥?で粥を買って帰ろうと思っていたのに午後六時半の閉店に間に合わず。ふと太古城にオープンしていたモスバーガーを食べてみようか、と思う。香港に住み始めてから「日本に帰ったらモスバーガー」と念じつつ実際に日本に帰ると「あれも食べたい、これも食べたい」でとてもモスまで行き着かず、ずっと食べておらぬのだからどう考えても18年ぶり、くらいのモスバーガーかしら。でモスバーガーとテリヤキバーガーを持ち帰り。やっぱりちょっと味が違う?、か25年くらい前に始めて食べた時の感動は今はない。年老いたあたしには味がくどすぎ、で太田胃酸。白先勇の『?子』のドラマのDVD、何年前?に台北で購入してまだ見ておらず、ついに見ようかと思ったがアイロンかけながら、ではどだい無理。諦める。そういえば原作の『?子』は1983年に発表され台北アンダーグラウンド文化の小説としてかなり注目されたはずが邦訳はなぜか出ずに20年以上過ぎていたが昨年、国書刊行会から邦訳が出ていた、と今日初めて知る。
▼先週日曜、東京にて安田記念観戦の左丁山氏が蘋果日報の随筆で語るに昨年Bullish Luck単勝で100万円配当得た左氏らの安田観戦団、今年も二匹目の泥鰌を狙ったがそうは上手くはいかぬものの団員の一人、香港の出走表を見て第5レース9番のJoyful Winnerの単勝1万円を東京で購入。当然、第5レースは香港での話、東京では第11レースであったのだが、東京の第5レースはワルキューレなる11番人気の馬が1着で45倍の高配当。これが馬番9。でこの団員、間違った結果45万円獲得の由。
▼信報の七日社説「我有権、?無 我講話、?聴」を受け八日の同紙・林止行専欄曰く、全人代の呉邦國委員長の発言から明らかなことは香港が英国の植民地から中国の付庸に変わっただけで、香港の政治発展には自由空間が全くなく、経済面でこそさまざまな優遇があったが、これも香港が利すれば中国も利するからのもの。香港特区の立法権は市政局議会レベルに抑えられ、司法独立が維持できぬことは今後、他国との利益問題など起きた場合に最終的には北京の判断仰がねばならぬわけで、英国が香港に残した最も貴重な法治が実質、無に帰すことは自由貿易港としての香港の陥没である、と。続けて、香港は主権国家ではないが、中国が一党専制の非民主国家であるから、香港統合に際して保障したのが香港の高度な自治と法治など民主主義制度の維持であり、中国はそれを保障することで、中英合意や香港基本法の制定が世界的に評価されたもの。今回の、香港基本法は(言わば欽定の)「授権法」である、といった発言は、もともと北京中央はこの発言をしてもしなくても認識も実際の判断も変わらぬのだとしたら、この発言は外に対してばかり負の効果があり、これでは台湾の併合などまた遠くなるであろう、と。……信報主筆にしてはかなり激昂。今回のこの呉邦國君の授権法発言はかなりの反響でアンソン陳方安生女史の発言など受け香港の三権分立への憂慮など語られるが、あたしはそうは思わぬ。基本的に香港は「高度な自治」の保障された中国の一地方自治体。地方が国家に隷属するのはこれは当然で、香港の場合その全ての最終判断が全人代となる(中国共産党なんだがね、ホントは)。司法の独立といっても香港特区内での、であり大陸子女の香港居住権で明らかになったように最終的な司法判断も全人代。林行止ほどの碩学が法治が崩れれば他国との利益問題が法律沙汰になった場合など懸念するが、中国の立場は基本的に中国の政治体制に関らぬことについては香港の独自の判断は許すもので(だいたい香港が対外的に貿易など利益衝突問題があることじたい本来、想定外のはずだが)、香港はそのへんを理解すべき。あたしが珍しく北京中央擁護のようなことを書いているが、だいたい反中国政府のデモ活動など許容され、言論が「中国は一党独裁の非民主的国家で人々の政治的自由など剥奪され人権蹂躙などひどい状況にあり、この一党独裁制度は解消されるべき」などと言っても全く自由なだけ、中国の一地方自治体としては充分に中国とは一線を画したその寛容の下にある。それだけでも「御の字」ではないかしら、「あんなにひどい」国内の体制と別にしてもらっているだけでも。
李登輝君の靖国神社参拝はあくまで亡兄の慰霊、としているが、これについて台湾籍兵士の靖国神社祭祀に反対し日本で提訴もしている台湾の高金素梅女史(タイヤル族名:チワスアリ、立法委員)が指摘するのは台湾の新竹県北埔郷にある濟化宮に二十数年前、李登輝氏の亡兄(李登欽)含む三万名の台湾籍日本兵の霊位を迎えており李登輝氏の父(李金龍)も生前ここに参り亡息の慰霊をしていた、と。であるから李登輝氏が靖国に亡兄の慰霊と参るのは筋違い、という指摘。興味深い。だがこの濟化宮訪れた日本の方の記述(こちら)によると、この濟化宮は約40年前に「夢枕に観音菩薩が現れこの宮を設立するよう示唆」された開祖?が「日本の靖国神社へその旨申し出て、1965年に対象者のコピーをもらって設立した」らしく、その場合、これは靖国的には英霊はそのまま靖国にあり、奇特な台湾人が台湾でも祭りたいというから英霊の名簿をあげた、というような話ではないかしら。東森新聞によれば「記者實際走訪,確實找到李前總統哥哥「岩里武則」的牌位,只是濟化宮表示,這只是分靈真正的牌位還在日本」の由。
河南省鄭州に出稼ぎに来たが失業し路上で物乞いする母に連れられた7歳の少年が疾病、不法出稼ぎで付近の病院で医療受けられず路上で衰退のまま逝去の由。貧困であれば、更に勝手に土地を離れ都市への「盲流」とあらば医療も受けられぬ、とするなら、この国家が本来の共産主義には非ず。マルクスがいた当時の倫敦か。また山西省の鉱山では朝五時から夜中まで採掘に従事させられ給与も払われぬまま、与えられるのは水と饅頭だけで自由もない謂わば奴隷状態で強制労働させられていた31名が救出される。風呂もなく散髪どころか歯磨きすらできず着替えもなく汚濁にまみれ異臭を放ち、中には精神疾患で何処の出身かも不明で自分の名前を言うのがやっと、という状態の者もあり。鄭州西安の駅前で鉱山の求人に騙され連れてこられた、これも盲流の彼ら。でこの鉱山、経営者はその地方の共産党支部書記の長男。地元の者曰く、もし経営者の父が共産党の地方書記でなければ、この山も早々に封鎖手続きがされていたであろうもの、地方の幹部権力で奴隷鉱山も温存、と。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/