富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-05-21

五月廿一日(月)ふと快楽亭ブラック師匠のブログに行き当たり思わずのめり込み読み耽る。芸人らしい生き様、借金苦も見事だがブラック師匠の日本映画への造詣の深さ。成瀬巳喜男監督の国策映画の珍品「勝利の日まで」なんて科学者(徳川夢声)が助手(古川ロッパ高峰秀子)と協力して大砲に芸人乗せて打ちっ放し前線の兵士を慰問させる、って奇想天外。しかも芸人はエンタツアチャコ川田義雄、岸井明、山田五十鈴だというのだから。それにしてもブラック師匠、落語は本業としても映画、競馬、歌舞伎が好きで酒好き……とはなんとまぁ立派。早晩にジムで一時間の有酸素運動。左目が治りつつあると思ったら今度は右目。泣きっ面に蜂。帰宅してドライマティーニ一杯。麻婆豆腐で五糧液をすこしやる。「陶ずれど、酔わず」とはよく謂ったもので心地よく食後は小一時間ソファで転た寝も心地よし。
朝日新聞ヘラルド朝日紙の月曜コラムだそうだがビル=エルモットの「世界を読む」で中国のバブル経済取り上げ、原文は英語だが誰の仕事か知らぬが邦訳の簡潔なる日本語が見事。経済に疎くとも読める。中国のキョービのバブルを日本の、80年代後半のバブルと比較するのではなく70年代の第一次石油ショックと比べ、当時の日本が米国の固定相場放棄による円切り上げと原油価格高騰の中で、結果的に原油高と円高に対応した産業構造の再編を成し遂げたことを取り上げ、中国の現状の人民元安が容易な資金調達と輸出拡大には好条件ながら、余剰資金が投機的な投資にばかり向いてしまうとバブル崩壊すれば何も残らず。温家宝首相がインフラ整備や公共事業等への投資を求めても、所詮、キョービのバブル謳歌するのが輸出産業、党有力者や地方幹部とあっては聞く耳ももたず。中国バブルの崩壊は、それが日本にとっても影響大きいことへの懸念。
▼新潮社『考える人』06年春号の佐藤卓己の世論論(第4回)「安保闘争と「声なき声」岸の世論と樺の輿論」も面白く読む。60年安保というと岸信介による安保改正とそれに反対する国民世論、と恰も簡単に総括されてしまっているが佐藤卓己はこれに徹底した分析で再検討を試みる。まず安保(日米相互協力と安全保障に関する条約)は旧来の日本国内での内乱等の際に治安出動できるような、事前協議なし、無期限であった条約を、10年限定で内乱出動廃止など盛り込んだものへの改訂であった、とする。この改定については50年代、むしろ国民は支持。岸内閣は55年体制で戦後、初めて与党(自民党)単独で成立し59年の参院選でも自民圧勝で単独過半数という、非常に安定した環境で、この改定を単独採決。岸内閣は退陣するが、それは樺美智子という一人の学生の死が安保改定反対の民情を高めた結果、アイク来日で岸信介は「米国大統領迎える際に天皇陛下に万が一のことでもあったら」の懸念からアイク来日中止と自らの退陣を決定。つまり安保反対の世論が岸を退陣に追い込んだのではない、ということ。本来、この岸退陣は野党に利するはずが、労組票に依存する社会党は選挙では勝てぬ万年野党の体質にすでになっており、自民党より選挙結果に対して不信感を抱き、民情の軽視は岸内閣以上ではなかったか、と佐藤卓己は指摘する。そこで自民党池田勇人が首班となり高度経済成長に向う経済国家へと向う。(歴史を結果論で見るようなものだが)60年安保とは実は改定に挑んだ岸も反対派も反米という点では同根であり安保改定が戦後日本の「国民主体の迂回的回復戦略」であったとする。その時代に比べ、現代など小泉、安倍の何だかよくわからない親米で、大衆的な反基地闘争すら起こす気概もなく、主体性のある時代のほうがよっぽどマシなのではないか、と。御意。
▼同じ『考える人』での養老先生と対談した内田樹の言葉より。
きちんと集団性格が規定された上で、集団が成り立っていることなか、実はほとんどなくて、むしろ、ある集団の集合的性格とされるものの多くは、集合的に扱われたことの事後的な効果じゃないかと思います。民族特性といわれるもののかなりの部分は「後づけ」なんじゃないんですか。
安倍三世の「美しい日本」などただたら嗤うべき共同幻想か。

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