富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月廿六日(木)安倍三世がメールマガジン
長崎市長の銃撃に続き、都内などでも暴力団による銃撃事件が立て続けに発生しました。こうした暴力の横行は、民主主義に対する挑戦であり、言語道断、断じて許すことができません。
と宣われる。このフレーズは普通。だがこれに続くところが
治安のよさは、日本が世界に誇る美徳だと言われてきました。ここに傷がつくようでは「美しい国」とはいえません。国民の安全を守るのは私の責務、平和な生活を脅かす暴力を断固として撲滅します。
と「安倍らしい」。治安のよさ、が日本の美徳、なんて神話も神話。すでに傷はついていて、つまり日本は安倍晋三の言う「美しい国」なんてものぢゃない、ってこと。「美しい日本の粋(すい)」なんてバカな企画も進行中。ほとんど共同幻想の世界。今日の朝日は昭和の先帝に仕えた卜部亮吾侍従の32年間綴った日記の公開。1969年に侍従となり平成になり侍従退任後も皇太后に仕え皇太后の大喪儀祭官長を務め02年に78歳で逝去。死の直前に日記を朝日新聞の岩井克己編集委員に託した由。5月から朝日新聞より卜部亮吾侍従日記として刊行(入江相政といい徳川義寛といい昭和天皇を語る日記を託されるのがみな朝日新聞なのも興味深いが)。で卜部日記について。靖国へのA級戦犯合祀への不満もさることながら自民党代議士・奥野誠亮の発言(昭和63年当時、国土庁長官)についても先帝は憂慮。日記には詳細は記載されていないが卜部によれば天皇は「英国人や米国人にすら私の気持ちをわかってくれる人がいるに」と涙ぐんだという。天皇靖国参拝中止がA級戦犯合祀に直接起因することも「富田メモ」裏付ける記述あり。靖国神社の当時の宮司・松平某を卜部は「大馬鹿」と日記で罵る。さもあらむ。それにしても天皇という人が、例えば皇居で昭和44年にパチンコを天皇に向けて撃った奥崎謙三氏の『ヤマザキ天皇を撃て!』が上梓されればその内容に関心を持ち、科学博ではインドネシア館参観に対してオランダの反感を気づかいと、なんとまぁ大したもの。で、やはり不思議なのは本来、天皇に絶対服従しそうな保守反動右翼の政治家であるとか靖国神社なわけだが、当時直接天皇の声が届かなかったにせよ、本来、彼らにとって天皇の不満をかうことほど恐れることはない筈で、天皇の不満をかえば即刻、国土庁長官辞任どころか議員辞職で山にでも籠るか、靖国神社とてA級戦犯合祀を控えそうなもの。だがそうぢゃない、のが「日本の近代天皇制」の興味深いところ。薩長の倒幕から実は天皇制なんてものは利用されているだけで身勝手なことばかり。それで逆に徳川さんの末裔が侍従長になり左翼とされる朝日新聞が侍従日記を託される。今上天皇は明らかに護憲派。だがトキの政府は改憲に躍起となるのも天皇の御意などまるで軽視、いや、無視されるから。
▼米国のVirginia Tech Collegeでの32人の銃殺は“In the biggest mass shooting in America's History”なのだそうな(The Economist 21/04)。はたしてそうかしら。原住民殺害とかもっとドンパチやっていたような気がするのだけど。
高橋悠治氏が21日に水戸芸術館でバッハをモチーフにしたピアノリサイタル開催。バッハの「パルティータ」の6番を高橋悠治が「断片化して組み合えた」という「アフロアジア的バッハ」という作品は(朝日新聞文化人類学者・今福龍太氏による評によれば)バッハの当時のヨーロッパの音楽に隠れていた、大西洋交易に由来するアフリカ人奴隷のダンスのリズムや、モンゴル帝国を介した中国の数理論(12平均律の起源)などが、解体されたバッハから聴こえ出す、と。でそれに続きパルティータの6番を高橋悠治が改めて弾くのだそうな。なんて試み。すごく聴きたい、と思うのだが水戸芸術館はそんな演奏を聴き終えて出てきた市街が寂しすぎよう。かつての繁華街が空虚と化して何もないのだ。そのなかにかつての賑わった小学校移転して水戸芸術館。ほんとうに芸術館のまわりに演奏会のあと、ちょっと食事したり酒を飲む、余韻にひたる空間が皆無に近い。誰も人が住んでいないのだ。あれぢゃ寂しすぎる。巴里のオペラ座にせよ紐育でも渋谷でも銀座の歌舞伎座でも、さて何処に寄ろうか、とその楽しみ。香港とて文化中心ぢたの建物は下品だが文化中心を出てば目の前にペニンスラホテル、背後には香港島の百万ドルの夜景が見事でスターフェリーで香港に渡ろうかしら、と思案が愉快。そういう土地のなかに芝居小屋や音楽堂があってこそ。

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