富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-04-24

四月廿四日(火)大雨。最近、煮豆が好物。土井勝の「今日の料理」でも豆を煮るのは難しい、と言っていたが。黒豆の煮汁が身体にいい、と言うが、ウオツカをこれで割っても美味。火曜日晩のオゾマシいテレビ番組にNHK歌謡コンサートというのがある。仕事片づけながらついこの番組が始まってしまい、これに今晩のゲストで南こうせつ、が出演。新曲のプロモーションで、30年前の「神田川」も歌っていたが、司会との会話で70年代の騒然とした時代は「いろいろありましたね」「変動の時代でした」と南こうせつ。申し訳ないが「何も変わっていない」。それどころか「変わっていないのに変えたつもりでいること」が70年代の齎した諸悪の根源。30年も「神田川」歌っていればいいんだからいいよね、とアタシが言うと「アルゲリッチシューマンの「子供の情景」弾いている」とZ嬢。確かにそうだが「子どもの情景」には「神田川」のような「あの時代の思い出」など託されていないから、いい。だいたい「あたなは〜もぅ忘れたかしらぁ〜赤い手ぬぐいマフラーにしてぇ〜」と、実際には誰もそんなことした経験もないのに、若者が貧しかった時代、なんて時代を共有してしまって(アタシも子どもながらに、そうだった)。そういえば、その「南こうせつ」氏が六月だったか朝日新聞香港衛星版が香港返還10周年を記念して(なぜだ?)南こうせつコンサートで来港の由。かつて「朝日寄席」と銘打った落語会の時に旧知の関係者に「朝日の定期購読者だろうがYomiurianだろうが誰でもどうぞ、では定期購読者になんのpriorityもないじゃないのよ」と苦言した甲斐があったか、今回はまず定期購読の方優先らしい。きっとアタシは行かないが。なぜかと言えば、当時はあれでよかったが、今になって、あの時代を彷彿とか共有したくない。かぐや姫赤ちょうちん関根恵子が主演の映画は「神田川」なのだが(数年前までずっと「妹よ」だと誤解)これを上映した頃はあたしは小学生で関根恵子の濡れた演技が見られなくてとても残念なのだった(テレビジョッキーで映画紹介を見たのかしら)……と語れば実はいろいろ思い出す。晩遅く夢野久作江戸川乱歩氏に対する私の感想」という一文を読む。乱歩という御大の推理小説への批評文を求められた久作は「私のような若輩が……」と恐縮しつつ、一連の乱歩物を読んだ久作は、なんと「日本人は直ぐに西洋人の真似をする」と語り始め「江戸川乱歩は要するにエドガア、アラン、ポーに対するエドガワ、ランポに過ぎないのかナ」と「それを言っちゃぁお終いよ」みたいなことを平気で言うのだった。が久作は言う、乱歩の『白日夢』を読んで、乱歩の虜となる。
……白昼の人通りの中で、天日に顔を晒しながら、ダラシなく涙を流す中年男……うす暗いところで開け放しにされている水道の栓……ドラッグの人形の奇妙な形と光り……その中に交った生ぶ毛だらけの実物標本……そのようなものが力なくつながり合い、重なり合いながら描き出す白昼夢の交響楽……事実以上のこころの真実……虚偽以上の自然の虚偽……その純な、日本風な、ヤルセのない魅力に、私はスッカリ強直させられてしまいました。(略)
私は、こうして初めて乱歩氏の偉大さを知ったのでした。硝子窓が深夜にワナワナとふるえるようなポーのペンに対して、眼の球が白昼にトロトロと流れ落ちるような乱歩氏の筆が対立している事を初めて知ったのでした。ポーが地上に残したモノスゴイ薬品のにおいに対して、乱歩氏が生み出すオドロオドロしい黒砂糖の風味が存在している事を、生れて初めて教えられたのでした。
久作のこの筆致も見事というしかない。
▼報道記者のロベール=ギラン(1908〜1998)は戦前から戦後にかけて日本に長く駐在。ゾルゲ事件などへのかかわりが疑われ終戦直後の徳田球一共産主義者の刑務所からの釈放など尽力するなどまさに20世紀のジャーナリストだが、彼のことが朝日新聞の「新聞と戦争〜それぞれの8・15」という連載で紹介される。気になったのは彼の写真。ちょうどカメラを構えて写真を撮ろうとしている姿なのだが、そのレンジファインダーのカメラが何か。これを一見してわかるほどカメラ知識もなく右手に隠れたところにonと見えたので一瞬NikonニコンSか、と思ったが、ファインダーあたりのデザインが明らかに違うことくらいはアタシでもわかることで、赤瀬川原平さんの鵜の目鷹の目ぢゃないがルーペで写真をよく見るとonはどうやらnonのようでキャノンでレンジファインダーキャノン6Tであった。いやぁそれにしてもロベール=ギランのこの、我々のお手本のようなカメラの構え方、ファインダーの覗き方、これならいい写真が撮れるな……と。
▼愛知県といえば管理教育の先鋒のように思われていたが愛知県犬山市が国の全国学力試験に不参加。この不参加が東京都国立市であるとか「真の地方自治体」福島県矢祭町あたりの決定だと「なるほど」だが、なぜ犬山市なのか。でサイトで見てみると、なんと犬山市は「犬山市の憲法」なんて検討中で市民による地方自治をホントに実現しよう、と考えている。これなら国による教育への介入に対して疑問に思っても当然。東の矢祭、西の犬山か。

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