富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-04-15

四月十五日(日)久々の休みで何するでもなく休養という気もしたがイースターも何処に行くこともなく終り、せめてマカオに一日遊ぼうか、とZ嬢と朝9時すぎのジェットフォイルで一路、澳門澳門は日に日にカジノの巨大な建物が増え、さすが「賭け金の総額では」ラスベガスを凌駕する世界一の賭場。バスで市街中心に向い最近改修後に公開となった廬家大屋を参観。光緒15年(1889年)にマカオの著名は商人であった廬華紹(廬九)の建てた旧宅。旧市街の大堂巷の坂道にあり付近には洒落たカフェだの多し。ホテルリスボアのRobuchon a Galeraに昼食。葡萄酒は白でChablis Grand Cru Bougros, William Fevreの02年。ドカン、と音のしそうな辛口で驚いた。白アスパラガスのポタージュ、コンキリエ(貝殻)に蟹肉や貝柱を詰めたパスタ、チーズとデザート。黒服の給仕二人と大陸出の女給(英語も丁寧)のサーヴィスが上出来。音楽だけは「エリーゼのために」だのトルコ行進曲だの小学生の音楽鑑賞、でこれはダメ。タイパ島の住宅博物館に向うZ嬢と別れ、何の展示中かもわからずバスでMuseu de Arte de Macauマカオ芸術博物館)。日曜だというのに入場料タダで澳門政府は好景気で大盤振る舞いか、と思ったら常設展が入れ換え中で特別展だけの展示のため無料。書家・羅叔重(1898−1969)の隷書と行書、篆刻の展示を看る。澳門といえば博打だが過去17年、40回くらい澳門に来ているのだろうが賭場に足を踏み入れたことは三度だかあっても一度も博打経験なし。それがふと「博打をしてみたい」と思い新装開店のWynn Casinoに入り賭場を暫く眺める。ブラックジャックならできそうかしら、と思って、普段の競馬の時の一日の軍資金よりはかなり高額を銀行から引き出し「掛け金は最低額で固定、なくなったら終り、まさか、で儲かっても軍資金が倍になったら終り、制限時間は40分」と決めて、いざブラックジャックの卓へ。途中一度軍資金が目減りしただけで多少黒字が続くがさすがに軍資金の1.5倍にはなっても2倍には至らず、そろそろ止めようか、と思った時に「俺は安田一平か」(笑)と思ったがブラックジャックが出て、そこでお終い。同じ卓にいた大陸からの賭け客らに「勝ち逃げかよ〜」と揶揄される。それにしてもせっかちな次から次へのゲームでカードを読む暇もなく40分で疲労困憊。自分で途中、参加を棄権すればいいのだろうが。大陸からの彼らの大胆な、というか向こう見ずな賭け方にただ驚くばかり。どう考えても身銭とは思えず。まぁきちんと儲けて気分よく、これで「カジノは面白い」なんて思うと次は大火傷か。夕方、澳門陸軍倶楽部のメンバーズラウンジでZ嬢と待ち合せ。ハイボール頼んだ矢先に電話入り、香港から友人が亡くなった、と。電話と陸軍倶楽部のネットで出来る限りのことをしてフェリー波止場に急ぎ予定変更で急ぎ香港に戻る。病院へ直行。病院に集まっていた数名の知人らと晩遅く夕食もとっていないので、やはり齋膳か、と思ったが、ふと杭州酒家通りかかり皆で亡くなった友人と最初にあったのが此処であること思いだし、杭州酒家に食す。知己のマネージャーに急に不幸があって、と伝えると「まかしてください」とさっと齋膳を供される。亡くなった友人には悪いが、美味い。麦酒好きであった彼の思い出話などしつつ麦酒飲む。
▼中国の温家宝首相の来日。天皇との会見で温首相が陛下のさきの「過去の事実についての知識が正しく継承され、将来にいかされることを願っています」との言葉を引用し「戦後60年にあたっての陛下のお言葉を評価します」と述べると、陛下は「年月がたつと忘れることも多いので、世界の人々と友好のためと思って発言したものです」と説明した、という。日本では首相が相手が憤ることは承知で靖国参拝してみせたり、慰安婦問題で余計は発言するなかで、この陛下の良識がいかに中国側に理解されているか。天皇という存在が日本の最大の抑止力になっている、この事実。
▼昭和を通して、いや、平成になった今も頑なに帽子をかぶり続けるのはもう一人、と久が原のT君が挙げたのが磯野波平氏。御意。

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