富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十四日(土)昨晩のNHKのNW9でのキャスター「会津の男」柳沢某について。昨晩は睡魔に襲われ朦朧としていたので記憶の彼方に亡失しそうであったが柳沢某の最近の態度には「慣れ」と横柄の相乗効果で、もはや悪態としか言いようのない雰囲気あり。昨晩も温家宝君の訪日についての報道で温首相が中日友好の強調をサブキャスターが紹介すると「ただ、ね」と柳沢某は身を乗り出して(もはやキャスターというより民放の政治談義バラエティのコメンテータ風)「日本と中国の間には、温家宝首相も言っていましたが厚い氷があるんですよ」と。やけに強調。それも身を乗り出した上に左を見たり右を見たり、の挙動不審でカメラがついていけず。というか放映中のカメラのほうを向いておらず。調整室の中ではプロデューサーが「このバカヤロー、カメラのほう向いて話せっ!」と怒鳴っているのを想像するも易い、ありがちな報道センターの図。キャスターなら、厚い氷、なんて日中間に様々な懸案事項があることなど誰でも承知な話で、さらに一歩突っ込んで、それをどう解決するのか、中国側の今回の好日感の表れの意図は何なのか、と少なくても筑紫哲也なら分析してみせるわけで、柳沢某の「邪気」にただ、呆れる。番組の最後でもサブキャスターが温家宝首相訪日についてもう一度紹介すると柳沢某が「厚い氷があるのも事実です」でNW9が終る(笑)。なんてコメントだろう。女性のサブキャスターも「ちょっと、柳沢さん、もうちっとマトモにやってよ」と内心忸怩たるものあり、だろうか。本日もそれなりの陽気だというのにバタバタと諸事忙殺され晩にA氏宅にお招きいただく。A夫人の手料理で越後泉山会の生原酒「菅名岳」いただく。美味い。帰宅して今日ドサクサでHMWに寄りアシュケナージ先生のラフマニノフの2、3番のCDが安売りになっており、1963年で2番がモスクワ交響楽団(指揮はK. Kondrashin)、3番が倫敦シンフォニー(指揮はA. Fistoulari)で63年ってことは二十代後半のアシュケナージが英国に亡命寸前かしら?という記憶だけで、このCDと、それにStan Getzの“Body and Soul”とウェザーリポートのHeavy Weather(これは17歳の時に親友のO君がテープに録音してくれて以来)の3枚を購ったのだが、帰宅してこのアシュケナージラフマニノフを聞いたのだが、艶っぽいねぇ。60年代のソ連でこれはまずいよ。それにしてもアシュケナージにしてもバレンボイムにしても、なぜ指揮者になってしまうのかしら。指揮者になってからのピアノ演奏はどうも好めない、とZ嬢と話す。
週刊文春小林信彦氏が「本音を申せば」の連載で「植木等さん、ご苦労さま!」と、この題を見ただけで「これはいけない」と察す。読んだら泣いてしまう、と強烈な予感。恐る恐る読む。小林氏は昭和32、3年にテレビで脱線トリオのバックで演奏していた彼ら(クレイジーキャッツ)を見たのが最初で、彼らを認識したのは昭和33年の新宿コマからの中継番組だった、と話を始め、その後、ジュクのジャズ喫茶ACB(アシベ)でクレイジーキャッツを見入った、と言う。その後、昭和38年に当時サンデー毎日石川喬司氏が小林氏で「これがタレントだ!」という連載を企画。初回が谷啓で次に植木等としたがナベプロがこれを受入れず、結果的に小林氏がクレイジーキャッツの無名時代、それどころか植木等フランキー堺とシティスリッカーズの頃から知っている、と話して植木等小林信彦の意気投合(なんていい話)。だがこのあとの小林氏の語る植木等は壮絶そのもの。大量の薬を飲みながら舞台や映画をこなす。映画の破天荒は監督(古沢憲吾)の作ったキャラで生真面目な植木等に昭和39年にばったり日テレの玄関で小林氏は玄関脇の暗がりに立つ植木等と出会い「お身体、いかがですか?」と小林氏が声をかけると植木等
ズボンを少しつまんで、かたわらの地面にみずから腰をおろし、「ま、立っていてもなんですから、すわりませんか」と言った。「お茶一杯、出るわけでもありませんけど」
こういう無意識の時の植木さんが、ほくはとてつもなくおかしかった。当人はひたすらマジメなのである。
小林信彦の回想。この連載は大好きだが、やはり愛情がこもると、やはり、いけない。
▼久が原のT君より早速メール届く。昭和の博物館、といってもただのしもた屋はT君宅より徒歩3分だそうな。博物館」前の細道が多摩川河岸段丘崖で、古墳時代からの旧道。昔は西日を背にして富士山が良く見えたのが今は多摩河原にマンション林立、邪魔なばかり、とT君。さもあらむ。今月は御園座でダッキ(盟三五大切)は三津五郎橋之助に小万が菊之助。ダッキはこれでいいがもう一つの芝居「芋掘長者」ってなによ。三津五郎曰く二年前の中村屋の襲名興行で三津五郎が四十五年ぶりに復活した踊りの再演で、確かに「なんの説明もいらない、お子さんからお年寄りまで文句なく楽しめる内容ですので、三五大切の陰惨な芝居のあと、明るく気分を変えて、楽しく劇場を後にしていただきたく思います」と三津五郎は言うが「三五大切で奮闘した3人が、まったく違う役柄で再び顔を合わせるということも、歌舞伎ならではの楽しさです」って、それにしてもダッキのあとに、どう頭を切り替えればいいのかしら。あたしにはわからない。

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