富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-04-13

四月十三日(金)数日前の朝日新聞に「昭和モノ語り」という読物あり「男の帽子」取り上げる。山本夏彦山口瞳の文章を引用し戦前まで男は帽子を被るものであったことから語り始める。野球帽や今はまた若者の間でニット帽などファッションとして帽子はけしてなくならないが中折れ帽やパナマ帽はかなり珍しく、帽子は植木等のコメディ映画や渥美清のフーテンの寅さんなど異質な者に似合うようになったこと。戦前、戦後を通じてずっと帽子を被り続けたのが昭和天皇というのも確かに言われてみると、そう。あたくし自身はかなり帽子を被るほうで、中折れ帽、ハンチング、パナマ帽などかなり持っている。ほとんどが銀座のトラヤというのが自己満足なのだが、記事によれば「昭和12年ごろ東京に住む人々は少なくとも半ダース以上の帽子をもっていた」(東京帽子協会編『東京の帽子百二十年史』より)そうで、そういう意味ではあたしもすっかり昔の人らしい。でこの読物に添えられた写真が、東京の昭和の暮らし博物館(これが久が原にあるのがT君とは偶然なのだが……)で撮影されたらしい昭和の書斎の写真。机上に涼しげなパナマ帽、はいいのだが帽子の右にある丸い物体は何か。机上灯の足下にも一つ同じ物体あり。机上の時計や一輪挿し、筆箱などとは異質の「通常、机の上にないもの」だが敢えてパナマ帽が強調された撮影現場でなぜここにあるのか、が不明のこれは、なんとなく「大判焼き」に見えなくもないのだが……確かに「大判焼き」は昭和のモノではある。だが敢えてここに大判焼きがなければならない理由もない。日本の朝日なら夕刊の記事であり写真はカラーなはずで、カラーならもっと判別しやすかろうし、いっそのこと昭和の暮らし博物館に問い合わせることも可、だが敢えて「昭和の机の上にパナマ帽と大判焼き」ということにしておくほうが「頑なに甘党のオトーサン」がいそうな感じ。そういえば、昭和といえば都知事選のあと関川夏央氏が「歴史と化した昭和の青空」という、文学青年としての石原都知事、について書いていた(10日、朝日)。東京に新しい希望を、と東京オリンピック誘致など掲げる石原慎太郎だが関川氏は、石原慎太郎という昭和の若い青年がすっかり「おじいさん」になってしまってもやはり若い時からの昭和の、戦前のモラルのようなものへの固守、をするのだが石原氏の標榜するものが実は全て昭和に終ってしまった歴史なのだ、と指摘する。で本日。早晩に頭の切り替えをするのに麦酒でもなければどうしようもない、とQuarry BayのEast Endに一飲。帰路一緒になったN氏を誘う。自家製のAleをハッピアワーで二杯とChimayの白ラベルの麦酒を飲む。帰宅してカレーライス。
▼火曜日の朝日に「60歳の憲法と私」という記事で内田樹氏の「改憲派に「覚悟」あるまい」という一文あり。憲法第9条戦争放棄自衛隊の存在の不整合を「微妙な政治的トリックだ」とする内田先生は、この前提が日本を「安全な国」にしていたのに、日本人が9条と自衛隊の存在の矛盾を認めることは日本が米国の属国であると認めることになるわけで、日本はそれが出来ないから、そこで政治的トリックとして「戦後日本のすべての不幸は9条と自衛隊の矛盾から生まれている」という物語を創作。心理的には悲劇であるが少なくても戦後60年の大きな疾病利得=平和を得る。が改憲派の唱える「普通の国」になることは、そういった安定的な地位からの脱却で、米国からの独立しようという、その「覚悟」が改憲派にはあるのか、と内田先生は質す。改憲派ほど「平和ボケ」している、と。御意。
▼香港の行政長官「自称政治家」Sir Donald君の提灯選挙での当選による再選、連任で上京のSir Donald君に対して温家宝首相より信任状渡される。二年前の行政長官への任命の際にはSir Donaldは温首相より論語の「士不可以不弘毅、任重而道遠」(士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し」の言葉授かったが今度は温首相、その文言に続く「仁以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎」を授ける。仁以て己が任と為す、亦た重からずや。死して後已む、亦た遠からずや、と。Sir Donald君という良くも悪くも天性の小役人には、あまりテンション高くならないでほしいのだが……。

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