富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-04-01

四月朔日(日)毎年うんざり、は4月1日から「新聞の紙面が変わります!」って、ただ読みづらくなり字が大きくなり記事の質が落ちるだけ。朝日の社説はレイアウトからして形骸化の極み。教育欄に「Q 入学式はどうして4月にあるの?」と記事あり。春4月、満開の桜の花の下を母に手をつながれ……はもはや日本人にとってDNAにまで刷込まれたが如し。だが記事にもある通り江戸時代の藩校や寺子屋などいつでも入学できたわけで正月に師に正月祝いで届け物する程度。実は明治五年の学制発布でも大学や高等教育機関の始業は9月。これは外国人教員招聘と関係あり。それが1877年に高等師範学校が4月入学と決め、90年には小学校、翌年には中学も4月入学。アタクシがかねがね問題視する日本にとって「国民化」の明治20年代なのよ。その4月が始まり、とするのは何も日本の伝統でも習慣でもなく(そもそも初春というのは冬の寒さの和らぐ陰暦正月の頃、梅の季節)、明治政府が欧米見習い国家予算の会計年度を4月〜翌年3月にしたことに合わせ役所の都合で学校も4月始業になったもの。明治のこの頃に桜の花もソメイヨシノの改良で4月に見事に開花する(それまでの山桜や妖艶なる古桜とは全く異なる)陳腐な桜の木が「開発」され、天皇行幸とか親王の地方視察に合わせ日本中の学校に植樹されたもの。それがわずか数十年で春、入学式、桜が日本国民の脳裏に刷込まれたもの。自民党政府が愛国心だの我が国特有の文化や伝統、と宣うのなら、欧米の会計年度などを発端する、我が国特有の文化や伝統とは何ら関係のない「4月入学」などまず撤廃しては如何か。正月に戻すか(しかも農歴で)、も一案だが、教育的な面から考えると現場の教師らも実は9月入学推奨する者多し。確かにこれも「欧米基準」と思えるが、少なくとも夏の暑き時期に長い休みを取らざるを得ず、とすると4月始業では7月迄の学習成果が8月でかなり落ちるそうで効果的でない、と言う。少なくとも「4月への思い入れ」を見直すことが大切。で本日。昼前にZ嬢とCameron RdのCharlie Brown Cafeで珈琲とケーキ(といっても二人で1つを半分ずつ)。これがミッキーマウスカフェだのハローキティカフェなら絶対に行かぬのだがSnoopyのPeanutsが幼き頃より好きで幼稚園の頃、母に新宿伊勢丹で買って貰った米国直輸入のスヌーピーの縫い包み人形が今ももう何十年も世の枕元に居る(当時は伊勢丹が日本でのPeanutsグッズの販売元だったのかしら)。Peanutsのコミックスも英文に和対訳つきのがあり英語の勉強に、という名目で読んだがPeanutsのコミックスなんて大人が読んでも何が面白いのかさっぱりわからないのが殆どだから子どもは絵を眺めるばかり。で日曜日の昼前にCharlie Brown Cafeを訪れると確かにインチキではない様子。だが何処まで本場モノなのか、は疑問。遅晩に調べると香港地場にRM Enterprises (BVI) というキャラクター版権の代理店業社あり此処がこのカフェ経営。で本場米国にCharlie Brown Cafeがあるか、というとアタシがさっと調べた限りでは加州のSonoma State Universityなる大学構内にCharlie Brown's Cafeというのが在るが、こちらはapostrophe “s”が付くのがミソ。だが、そもそも、である、Peanutsに登場する子どもらのキャラでCharlie Brownがカフェ経営など出来ようものか。どう見ても経営手腕などない、それが彼である。誰が考えてもカフェ経営しそうなのはルーシーであり、それぢゃLucy's Cafeを開いたらどうか、というと正直言ってあのキャラではあまり好感はもてぬ。というわけだが、ただこのチェーン店、珈琲は不味くない。でZ嬢と一緒に押井守監督の『立喰師列伝』を見るつもり、で尖沙咀に行ったのだがSCMP紙の映画評読んで気がかわりZ嬢と別れ天祥撮影器材でLeica Fotogralie Int'lの3月号買ってから中環。市大会堂で“Dark Matter”(監督:陳士爭、米国、07年)見る。天安門事件の直後、中国から米国に渡った天文物理学の大学院生が論理では学会でも著名なる教授の発想を凌ぐ程であっても学者の世界の「政治」に疎く教授に嫉まれ博士号も取れず失意の余り……という実話に基づく話。やけに客が満席に近い、と思えば主演が劉?。『藍宇』で一躍スターとなったが、どうもアタシには彼が中央戯劇学院に在学中のデビュー作『山の郵便配達』の純粋(なだけの)キャラが強烈すぎて、実際にどうもそれ以上のキャラに脱皮できない気がしてならず。藍宇の男相手に淫売する学生の役は極端すぎて彼のニンでないにせよ、今回の頭脳明晰だが中国の田舎者の学者の卵が米国留学の役、はある面、ハマり役かと一瞬思ったが、やはりどうも博士課程の宇宙物理学者役も彼の役でない(で、この博士課程の学生が身を窶し失意のうちに柄にもなく化粧品のセールスして後見人の夫人の涙誘うところなどはこの人の良さが出る)。このままゆくと「中国の三浦友和」になってしまうのではないか、とナンシー関的に懸念。引き続きスロベニア出身のSlavoj ?i?ekが主演して映画論語り続ける“The Pervert's Guide to Cinema”(監督:Sophie Fiennes、英・墺、06年)見る。150分に渡りSlavoj ?i?ekが延々と映画の「現実的リアリティと映像フィクション」について語り続けるのだから強烈。チャップリンからヒッチコックタルコフスキー、リンチ等々古今の映画の象徴的場面をいくつも用いて見事な映画論だが150分延々とSlavoj ?i?ekが東欧訛りの英語で語るのだから持久戦。凄い御仁だ。時々、長嶋茂雄的に何を言っているのかわからぬ。上映後、香港の某大学で映画論教えるA君と邂逅。紐育でこのSlavoj ?i?ekのレクチャー聴いた経験あり、だそうな。尖沙咀に渡り(といってもスターフェリーの中環の波止場が移動していまい映画祭ではかなり不便となる)文化中心で大友克洋監督の『蟲師』見る。日本でも三月下旬にロードショー公開されたようだが、どうなのかしら。資金協力で三菱東京UFJ銀行、とあったけど「大友克洋って聞いたんで」とAKIRA世代の銀行マンが「融資しなければよかった」と後悔している鴨。「虫が」と言われてもねぇ……荒俣宏帝都物語陰陽道のほうがまだ李在りディあり。Slavoj ?i?ekは「現実社会のリアリティが見たければ映画のフィクションを凝視せよ」と映画の最後で言っていたが、それをこの『蟲師』見て「なるほど」と「現実社会のリアリティの投影できないフィクションである映画」がどういうものか、と納得。この映画を見ていたZ嬢とちょっと会って星巴で珈琲。Z嬢と別れ中環の市大会堂で晩遅く『馬烏甲』(監督:趙曄、中国、06年)見る。舞台は広西自治区で越南と国境を接する憑祥が舞台。王松という作家の原作はこの国境の町が舞台ではないのだが趙曄監督はこの広西憑祥訪れた際に霊感的なものを感じ、ここでの撮影を決めたそうな。山あいの自然に囲まれたこの町で中学教師の母、先天性の貧血性で腎臓透析の必要な幼い弟と暮す健気な十五歳の少年が主人公。この少年も虚弱体質で貧困や病い、弟の不幸な事故などが家族を襲う。センチメンタルな話になりそうだが、とにかくカメラがいい。憑祥の雑然とするが何処か情緒ある街並、山岳の自然の中で徹底した自然光のみでの撮影、しかも母と息子二人の生活はまるで実生活のようで、かなりフィルムを回しっぱなしであろう、極々自然。Slavoj ?i?ekの言った「現実社会のリアリティが見たければ映画のフィクションを凝視せよ」がまさに露光された感あり。もっと家族の表情を見たいのだがカメラは遠巻きに、その距離を維持する。唯一、カメラがとくに主人王の阿甲(映画のタイトル、馬烏甲はこの少年の名前)の表情をアップで映すのは病院で透析など治療受ける弟を病室の入口で優しそうに見守る時の笑顔だけなのが印象的。趙曄という監督も凄いが、この馬烏甲役の李世新なる15歳の若者が実に「この瞬間にしかできない」凛々しさを見せる。

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