富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-03-17

三月十七日(土)昼にかけて尖沙咀。明日のダービーのレープロ購い一瞬、Domonでらーめん食そうかと思ったがカロリー考え厚福街の唯一麺家へと向うが、この店が新装開店してからどうも経営者からすっかり変わったようで(推測だが)どうも落ち着かぬ新しさ。ふらっと越南麺の食肆に入る。厚福街であるから外れはなかろう、という算段。生牛肉河粉注文すると套餐なら小菜と飲み物がつくと言うのでレタス包みの春巻きと齋琲(ブラック珈琲)いただく。怖い物見たさ?で香檳大廈の中古カメラ屋街に潜る。陳?(David Chan)氏の店。ズミクロンの35mmは80年代の、確か第3世代でライカではかなり普及のレンズあり、眺めてみるとDavid Chan氏が「ほとんど新品ですよ、これは」と推す(から怖い)。R-D1sにつけて試し撮り。デジタルカメラはレンズの写り具合見るには好都合。銀座松屋でのカメラ市や日本の中古カメラ相場の話などしていると突然、DC氏が明日のダービーは行くの?とアタシに尋ねる。「行くつもりだけど」と答えつつDC氏と競馬の話などかつてしただろうか……と多少訝しいがDC氏は香港Derbyはメルセデス=ベンツがスポンサーだから、と綺麗な化粧箱取り出して何かと思えばメルセデス社がベンツのオーナーお得意様に祝儀で出した明日の沙田競馬場の入場章のセット。思わず「写真だけでも撮らせて」という気持ち抑えて眺めれば特製の入場章一対の他に当然の如く「ベンツのための」駐車券がバックミラーに掛ける意匠がいい。S厩舎系の予想表いただく。晩は自宅でおでん。東京のお多幸でショック受けてからZ嬢の味つけはかなりうす味。京都でおでん屋でも開けば?なんて話をしていて、ふと巴里でおでん屋、名前はL'hodenなんてイカしてないかしら、オデオン座みたい。遅晩に荒木経惟『東京人生』眺める。被写体の人物がほんと寛いでいたり撮影者に対して身を投げ出してしまっている。なかなか眠れずちくま文庫の「木村伊兵衛 昭和を写す」の1〜2巻を見る。大家を今さら語る言は要すまい。
朝日新聞の「検証イラク報道と言論」という特集で米国のイラク征伐開始時に賛成論唱えた東大教授・田中明彦と劇作家・山崎正和に賛成論振り返させるインタビュー記事あり。田中明彦はブッシュの「テロとの戦い」を当時支持したことについて「いま私たちは03年の春に知らなかったことを知っている」として結果的に大量破壊兵器はなく米国が自らの能力に過信があったことが今ではわかったが「ただ当時の情報には、そこまで示唆するものはほとんどなかった」「開戦時でフセイン大量破壊兵器が全然ないと確信していた人は恐らくだれもいない」のであり当時のブッシュの決断は正当化しえた、と嘯く。で小泉のブッシュ支持は大変賢明な判断だった、と煽てるが、その理由は結果、日米関係が良好であるから、と。このレベルで東大で国際政治学イラク大量破壊兵器をもっておらぬと「確信」までは難しくとも、米国によるデマと疑い米国のイラク征伐の欺瞞、戦後の混乱などアタクシですら当時、察していたことで、確実な情報などなくとも素人でもわかることを東大の国際政治学碩学?が「情報がなかった」から、と。詭弁もいいところ。朝日の記者から、研究者・言論人としての誤謬の責任を問われると「学問の権威によりかかって自分の意見を言うのは避けなければならない」「そもそも社会科学としての国際政治学にそれほど高い予測能力があるわけでもない」と(笑)。それなら東大教授という看板背負って国際政治評論などやめて、その社会科学としての国際政治の学究に勤しんでは如何か。逃げ口上とはまさにこれ。もうお一方、山崎正和は「自分が支持したのは米国のイラク戦争ではなく02年の国連決議1441に対する不履行のイラクに対する制裁としての戦争」だそうな05年4月のこの劇作家の発言は「今後、新政権のもとでイラクがどうなるか、とくに治安問題の早急な解決ができるかどうかはわからない。しかしそれはもはや新生イラク人の問題であって、アメリカの問題ではない。(略)世界的にも国内的にも世論が分裂するなかで、最初から一貫してアメリカのイラク戦争を支持してきた私にとっては、今や『戦争は終った』のである」と宣われる(レイプされてボロボロの身体になった人に、回復がうまくいかないのはアンタの責任、と言うようなもの)。これ読むとこの人は明らかに「アメリカのイラク戦争を支持」しているようだが……。明らかに自己矛盾。だが劇作家だから「私のこの戦争の原点は国連決議にあり、米国の道義もその中にある」と表現は卓越。だが国連の平和主義、紛争解決の甘さに不満があるからこそ米国が世界の保安官よろしくイラク征伐に出かけたのは明白。米国の道義は国連を超越してるのよ。「決議を背景に開戦した時の目標は、独裁者の排除、大量破壊兵器疑惑の解明、イラク民主化、テロリストの温床の制圧だったが、これらはほぼ達成された」そうな。大量破壊兵器の「疑惑の解明」のために何万人が命を落としたか。結果的に出来たのはフセインを殺しただけ。民主化、テロリストの温床の制圧が出来てなんていないことは中学生でもわかっている。
▼香港電台の「香港故事」の番組からの抄録(信報17日)。香港の「盆菜」について。今年の旧正月十五日の元宵では新界屏山で地元名士の?氏宗祠でとくに盛大な盆菜宴開かれたそうで?家直系の宗主である畏友William?達智君はかなり張切った由。?達智君の言待つまでもなく中国人にとって「聚餐」はたんに食べることでなく海外に散らばる者まで含め数百人の氏族が一斉に集う「家」の感覚の集大成。盆菜の起源は宋末に元軍に追われた宋帝の?(衛王、祥興帝、1272〜79、南宋第六代皇帝・度宗の三男。末代皇帝。元に攻められ家臣に背負われ入水自殺。享年8歳)が元に追われ今の新界にまで南走、村民らは突然の南宋の皇帝陛下の来臨に供す贅沢な料理もなく慌てふためき地場の食材で煮炊きした食物を大きな丼に盛って差し上げたのが盆菜の起源。たかだか田舎料理が王朝の国家存亡の話に紆るところが、いかにも、だが宗主・?達智君曰く、一族郎党で掃墓に合わせ墓の傍らの?穴に肉だの野菜だの予め用意して簡単に煮炊きした「食山頭」が起源であろう、と。

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