富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月九日(金)寒さ続く。一昨日突然の寒波、気温低くとも建物の余熱の所為かあまり寒さ堪へずども今日に至れば気温多少上がっても建物ぢたい冷え室内こそ冷気あり。今週はとにかく諸事忙殺され一昨日ちょいと銅鑼湾での宴会に顔出しただけでほとんど何処にも行けず。晩に帰宅してドライマティーニ一杯。Z嬢とお好み焼き。いいちこを二杯。食後少し寛ぎヰントン=マルサリスの新譜“From the Plantation to the Penitentiary”聴きながら「今週よく働いた自分への御褒美に」……なんてフレーズも最近は「元気をもらう」「いのちをくれる」が如き陳腐な表現と同じくやたら巷間に流行るが、そう、そのジャズを聴きながらBowmoreの17年を開栓して飲む。
朝日新聞に「柳田国男愛国心」という題で社会学者・武田俊輔(滋賀県立大学)が一考を寄す。教育基本法の改訂で「伝統や文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」態度を養うことなど基本法に盛り込まれたが、これが1930〜40年代の文部省による愛国心と結びついた郷土教育の推進を彷彿させるもの、でその「郷土教育」に鋭い批判を加えたのが郷土研究の指導的立場にあった柳田国男である、と論を興し、郷土教育の目標は、農村の子らに切実であった「何故にうちは貧乏なのか」「どうすればもうちつと生活が楽になるのか」という疑問を社会問題として捉え、それに答えを与えることが郷土教育にあたる者の任務、というのが柳田翁の主張で、それは武田氏に言わせれば「偏狭な愛国心やお国自慢ではい。むしろ核にあるのは学問を通じた生活改善と経世済民の志であり、貧困を自己責任でなはなく、社会的に共有すべき課題として見据える批判的視線」。それが「翻って最近の愛国心教育は、「国と郷土を愛する」ことを自明とし、社会的な課題を個人の道徳の問題へ矮小化させ」「それは公共の重視を謳いつつも、実際には「国と郷土」の「誇り」を吹聴し、個人に国家への奉仕を要求するに過ぎない」もので、それは「人々が抱える課題の解決に何ら道筋を与えないばかりか、暮らしの中の不幸や苦難を歴史的・社会的に問い直し、公共的な回路を通じて解決しようとする営みを封殺する危険すらある」と武田氏は憂う。御意。とこの若い気鋭の社会学者の筋の通った論を読んではないたが、久が原のT君より、この記事の掲載写真が振るっていて「前面に写る柳田先生の背後に、横向きに写っておいでなのは、紛れもない折口大人」と。言われてあらためて見てみれば確かに笑う柳田先生の背後に折口大人。どなたの書斎かしら。写真には柳田と折口の二人だけ、だが雰囲気からして書斎での数名での歓談のよう。この写真、「国」の問題含むことで、折口大人との「ツーショット」を意図的にこれを選んだのか(それなら朝日も大したもの)、偶然か。
自民党にて郵政「造反」の衛藤晟一君の復党につき「今後、反党的な行動なしない」など合意の由。党に対して反目的なる言論すら封殺するとは中国共産党を揶揄もオコガマしき唯党独尊の自民党。かつての魑魅魍魎的なる党内の言論の自由など遠い昔のことのよう。朝日のインタビューでは自民党の良心、山崎拓さんが答える。タカ派からハト派と目されるようになったのは山拓さんが変わったのではなく自民党が変わったのか?という質問に対して、
そう、後ろの景色が変わっただけです。戦後は遠くになりにけりで、戦争忌避、平和主義といった観念が薄れ、「軍事力を背景としない外交は迫力に欠ける」といった考え方の人が多くなった。それと、正しい戦争史観がないから、このごろの議論を聞いていて、極端に言えば大東亜戦争聖戦説という妖怪がさまよっている感じがします。従軍慰安婦問題をめぐる河野官房長官談話の見直しとか、南京大虐殺はなかったとか、ほとんど信じられないことを真顔でおっしゃる方がいる。それに非常に影響を受けた政治家がいる。力の信奉者にとっては受入れられやすい議論なんですね。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/