富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月七日(水)寒波再び到来。摂氏11度の厳寒。MPF(強制積立年金)香港に導入されし頃にある仕事で収入からMPFさっ引かれ最もリスク高いファンドに全額といっても僅かな期間の仕事で数千ドルであったが積立てていたのが年に一度のお知らせ来て見てみれば当時積み立てた額の約2倍に膨れたり。元金保障なしのファンドなので崩れたらいっかんのお終いだが6年で倍というのは年利でいうと何%くらいなのかしら。計算できないけど。ところで禁煙条例もいいけど交通機関内での携帯電話、あとあの携帯ゲームの音、あれの規制してくれないだろうか? 音出してゲームやってんじゃねーよ、このバーカッ!と張り飛ばしたい輩多し。晩に銅鑼湾の日本料理・湖舟。或る送別会あり末席を汚す。新潟は村上のすっぽんで鍋。美味。帰宅のつもりがふらりとバーSに寄りGlenkinchieをさっと一杯のつもりが畏友B氏、デザイナーのT氏に加えお二方とご一緒に「まさかこの二人とお知り合いとは?」と驚かされたがK氏が連れ立って現われ暫し歓談。
民法772条で生じる「無戸籍」児について戸籍ないことで旅券発給も能わぬ事実につきここ数日報道多し。無戸籍者に戸籍を!という強い願いもわかるが何故に戸籍制度なるものの見直し、撤廃の方向に至らぬのかしら。
▼四日(日)の蘋果日報の副刊「名采」で偶然か意図的か、蔡瀾氏が百年一日の如き自らコーディネートするツアー旅行にかかわる随筆で(もうウンザリなのだが)台北故宮博物館の大規模な改修終わり六十年に一度の大展覧をば見逃せず三月にツアー企画と書けば(これは本来、宣伝であって随筆じゃないのだが)その右欄で左丁山氏が台北故宮博物館を全面改装後に訪れたW教授が内容に失望、と紹介。偶然のことだろうが編集者の心境如何に? 随筆大家の蔡瀾先生に編集者が何も言えぬ状況にように思えてならず。
▼タイに白龍王と言う宗教家居り。映画プロデューサーの林建岳、アンディ劉徳華、トニー梁朝偉など香港の芸人、芸能界関係者らの信仰篤し。予言などよくあたるそうで久々に大ヒットとなった映画「無間道」も元々「無間行者」という林建岳の考えた題名を白龍王が「三文字に」と授け「無間道」と改名、で大ヒット。白龍王については神通力がある、怪しいと諸説様々。いずれにせよ宗教。旧暦正月十五日は白龍王の年に一度の大きな祝賀法要あり当然の如く林建岳ら香港から大挙して法要に参列の由。
▼先日の朝日新聞丸谷才一「袖のボタン」で岩波文庫のある書店=格が上、と語る。岩波文庫といえばアタシも子どもの頃に初めて買った岩波文庫は何だったか、が記憶にないのだがセロファンのカバーの岩波文庫を買って買えると母に「昔は星一つ40円だったの」と(50円だったかも)言われ、岩波文庫を読むようになったことに少し褒められた気分。当時は確か星一つ70円。近所のK書店は地元の大店で岩波文庫もずらりと並んでいたがセロファンが破れるのが怖くて手に取りずらし。本といえば朝日の読書欄の「たいせつな本」というリレーエッセーが面白い。4日の朝日では笙野頼子女史が森茉莉の『贅沢貧乏』について語る。
二十代初め、大学まで徒歩数キロ。小野篁が冥府への通い路にした六道珍皇寺の側に下宿し、休日は通学路と反対側の、鳥辺野に歩いた。市電道の書店の文庫の棚、私はある日彼女に出会った。親はマンションにしろと言ってくれたのに、望んで済んだ古屋、イタチが遊ぶ庭付きの六畳で彼女のお喋りを、繰り返し聞いた。ある日は彼女の文章(しぐさ)をまねしてみた。でも、無理だった。やがて長く付き合うようになった彼女をモデルに、私は評伝まがいのフィクションまで書いた。……
って、如何? ほんと森茉莉もいいけど笙野頼子もいいわねぇ。アタシの世代だと栗本薫から森茉莉に入った者が多かろう(ところで中島梓このサイトのセンス、ちょっと苦手)。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/