富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-02-21

二月廿一日(水)ホテルなのに朝五時起き。朝六時頃に静かなロビーで上網。タクシーで築地の新阪急ホテル。荷物だけ預け大川沿いを築地の場外まで散歩。まだ朝の七時。「かんの」でまぐろ丼。恥ずかしくて人には言えぬが「大一」でらーめんまで食べてしまう。朝早くて何もすることないし食べ過ぎ反省し有楽町まで散歩。JR有楽町駅前の珈琲屋で赤瀬川原平『ライカ同盟』読む。もっとライカ同盟な本かと思ったが基本は「小説」なのでカメラ好きでない人も読める感じ、で多少物足りず。Z嬢丈から「鉄火丼美味しい?」と電話が入るがじつは二時間も前に食べていたのでアタクシの勝ち。銀座に出ると朝まだ早いのに四十歳以上老人までの行列あり……職安?、寒そうに丸めた背中はちょっとドヤ街の日雇いのオトーサンたちの労務の職探しっぽいが、この場所は銀座松屋の入口に行列。銀座松屋恒例の第29回世界の中古カメラ市の初日。あたし自身それが目的なのだが。で行列がずいぶん長くなったところで店内に誘導されテキパキと8階までエレベーターで上げられる。毎年のことでデパート側も手慣れたもの。「えー、お寒いなか皆さま朝早くからお並びいただき……これから開場となりますが先頭のほうには百歳の方がかなりいらっしゃいますので、ぜったいに押さないで」などと笑いをとる。開店時間より10分早く開場。熱い客が一斉に向ったのは銀一カメラのキャノンの一眼関連。それと藤澤商会とかのRolleiの二眼あたりが人気。あたしがそんなことレポートしていられるのも「とてもライカのレンズには今回は手が出ない」からで最初から今回は買えない=あまり見ない、に徹したため。それでもどの店にもライカのレンズが並び欲しいレンズはみんな20万円台。あたくしのM6にいいレンズを装着させたいのだが……。ボディはM3のかなり美品が三共カメラなどで15万円くらいからずらりと並ぶ。それにしてもどのオジサンたちも30万、40万を万札で現金買い。けして「金持ち」って感じでもない。フェブラリーSででも馬券を当ててのかしら。今ごろ妻はパートに出ているのか、泣いているのか、呆れて言葉もないのか……などと勝手に他人の家庭の事情まで気になる。長居すると「せっかく来たんだからエルマーの50mmの一本くらい買ってこうか」みたいな赤瀬川原平的に言えば「悪性のライカウイルスに感染しかねない」ので40分くらいで後ろ髪引かれつつ会場を出る。ここから階下に来ると眼鏡売り場の8万円のフレームも48,000円の春物のコートも、ついライカのレンズに比べて「安い」と思えてしまうのが怖い。伊東屋でペーパーセメントのディスペンサー購入。こんなもの素人には本来、必要ないのだが植草甚一的になんでもノートに貼る私はペーパーセメント愛用で、刷毛つきのこのボトルが重宝する。トラヤ帽子店でBorsalinoの中折帽購う。忘れもせぬ小泉三世が首相として靖国神社に初めて参拝した夏からトラヤ帽子店で帽子を揃えようと考え自分なりに考えた5つか6つの様々な用途やデザインの帽子で、最後に、と思ったのがクラシックな中折帽。今日はこの買い物があったので松屋のカメラ市でもあえて冷静でいられたようなもの。銀座教会堂ビルのレモン社に寄る。協会所有のビルの8階に、ライカ中心にオジサンたちが大好きなオモチャ集めたレモン社。ここも1,100円のレモン社オリジナルのM型ライカ用シャッターレリーズボタンだけ、と決めていて、なるべくいろいろ眺めないようにするのだが、やはりライカレンズの誘惑。怖い。いつもの銀座での買い物は続く。鳩居堂でぽち袋。やはり現金を裸で渡すのは失礼、祝儀袋では大袈裟という時にポチ袋は重宝。香港でいつも財布の中に一枚入れていたりすると使う時には驚かれ、喜ばれる。喫煙具の菊水。菊水オリジナルのパイプの、フィルターにあたる金属パーツ割れたので購入。300円。宮脇賣扇庵。生活必需品である扇子を一本。銀座ニコンサロンで加山又造USSR 1991”の写真展見る。Z嬢と資生堂パーラーで待ち合せ昼食。珈琲も美味。「とらや」で豆かん。リーガル靴店で革靴一足購入。グリコぱっちり買いまショウみたいに今日は買い物をしている気もするが「香港では買わない」「香港では買えない」物ばかり。で香港での消費は結果的に抑制されている、はず(言い訳に過ぎないが……)。夕方に歌舞伎座。通し狂言仮名手本忠臣蔵。一階席最前列の20番というまったくもって中央の最上席。菊五郎の勘平に玉三郎のお軽で五段目と六段目。吉之丞演じる「おかや」は女形としてしっかり老け役しているが足裏の絆創膏が。勘平は音羽屋の当たり役の一つだというが仁左衛門で見たいし、あたしは個人的には「ちょっと」だが勘三郎の勘平なら客は入るの鴨。七段目「祇園一力茶屋」。吉右衛門の由良之助、玉三郎のお軽、寺岡平右衛門に仁左衛門播磨屋がどうしても鬼平に見えてしまうのは御愛嬌。この七段目の由良之助、先代の仁左衛門歌右衛門のお軽だったらどんな舞台になるか、と想像するだけでゾクゾク。往年の孝サマ玉サマ、なのだが感情移入の物凄い、ずっとテンションの高い松島屋に対して大和屋のお軽はどうも白けている、というか舞台にあっても演技している時としていない時のスイッチのOnとOffのようなものが感じられる。播磨屋は、役者としていまが絶好調の松島屋に本来であれば嫉妬したのかも知れないが、どうであれ、この芝居では由良之助であるからヒーロー役にある精神的満足が窺え、それが松島屋と大和屋の芝居を茶屋の高座から見下ろすニン?になっていたりして。七段目終わり幕間にロビーで仁左衛門丈の奥様に御挨拶。昨年の三月の菅丞相以来1年ぶり。いつも親しげに接していただき感謝。「あとでちょっと楽屋にでも」とお誘いいただくがとてもこちらが緊張してしまい松島屋さんにお目通りなど出来ず。御辞退するしかなし。最後「討ち入り」の十一段目。勘平の悲劇である六段目、由良之助の大役の七段目、しかも松島屋があれだけの演技見せたあと、この「討ち入り」はどうも雑で、なんか突然、明治座か新宿コマのよう。「通し」であるから討ち入りの大詰めをせぬわけにはいかぬのだろうが。通し狂言といえば歌舞伎座が三月は義経千本桜の「通し」で昼夜、音羽屋が忠信狐、高麗屋の碇知盛で何が見たい、って仁左衛門の「すし屋」でいがみの権太。これも見たいですね、と仁左衛門夫人に申し上げたら「四月も来てよっ!」と渡されたチラシ見れば仁左衛門丈による実盛。歌舞伎が見られるだけ東京はいいなぁと、散歩しながら築地のホテルに戻る。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/