富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-17

一月十七日(水)古書バザーに出す本を整理していると金子光晴の『マレー蘭印紀行』あり。また読んでもいいな、とバザーに出す本から抜き出す。早晩に湾仔のGrand Hyatt HotelのChampagne Barに五年ぶり?かで一飲。カウンターの椅子が坐りやすく新聞読んだりには落ち着く空間。ジャズも心地よし。ドライマティーニ。「ジンはGordon、Straight Upでオリーブ不要、レモンピールだけ」などと注文するのも、昔、若いころだと「この小僧が面倒な」と思われたが今ではすっかり余も老けてバーテンダーがだいたい年下で「かしこまりました」となるのも年の功。Jamesonで氷抜きのハイボール一杯。ただし快適ぶっ壊す「バブリーなビジネスウーマン」気取りが現われ携帯で大声で取引などして吸えもせぬ煙草蒸かされ迷惑千万。となりの男に気軽の声をかけ大声で雑談始め、但しその男には待ち合せの美女現われ「それじゃ」と立ち去られ、あまりの下品さに私らオヤジ客に睨まれていたことにようやく気づき少し静かになる。でパイプ吸いながら憩いでいるとカウンターの向こう側の客がしきりにあたくしのほうを指差してバーテンダーに何か言っている。煙草の合法的に吸えるバーであるが「パイプは煙くて迷惑」とかクレームしているのかしら。バーテンダーがその客の意向合点してこちらに来る。ああ、いやだ、と思ったら「あちらのお客様がそのパイプタバコのフレイヴァの銘柄は何かとお尋ねになっております」と。ちょっとこそばゆいが「自分でブレンドしている、と伝えて」と。その御仁、それを聞いて大いに満足の笑顔。バーを出ようとすると御仁こちらに参り「素晴らしいアロマのブレンドですなぁ。だいたい銘柄はわかるがどうもどこのタバコかわからずにいたがご自身のブレンドとは」と誉められ、差し出された名刺を見ると丁抹の老舗のタバコ商Mac Barenの副社長氏。「存じております。いぜん倫敦で御社のパイプタバコを購ったことがございまして」と答えると副社長氏慇懃に「これは当社の最高級のパイプタバコでございまして。もし宜しければ差し上げますでのお吸いになってください」といただいたのがシリアタバコの銘柄(こちら)。幸甚。湾仔展覧会議中心のホールで香港ファッション節だか開催されており畏友William ?達智君より招かれ、彼の「九龍皇帝十年回顧」なるファッションショウ参観。昨日の信報に彼自身の今回のショウの発案について書かれた文章あり。九龍皇帝・曽翁のいわば「落書き」を劉健威兄が「芸術」と示し、William?君がその落書きをプリントして衣裳としてからもう十年とは……。ただあたしゃ個人的にファッションショウで「うわぁ……素敵」などと感動できる才は無し。なにが感動なのかさっぱりわからぬ野暮。William?君の女性のロングドレスはとても美しいと思うが彼について敢えて厳しく言えば「山本耀司川久保玲の亜流」と思われても致し方ない鴨。ファッションデザイナーとしてよりも彼の健筆ぶりこそ素晴らしい、と個人的には思う。いずれにせよ盛況。旧友幾名かに再会。Mac Barenのパイプタバコが吸いたくて
一人でバーS。日本でいえば昔の「富士」のような煙草らしい古くさい煙草の香りが絶妙。気分よくバーSでお会いしたF嬢お誘いしてバーY。
▼昨日「孰了聖誕、冷了春節」についての記述の補記。香港で「爆竹」は禁止されているが、てっきり爆竹による怪我などの危険性と思っていたが、これは1967年の反英暴動で簡易の爆弾製造に爆竹の火薬が用いられたことで爆竹禁止の由。
丸谷才一という人は「文章読本」は若い頃かなり「ためになった」が『裏声で歌へ君が代』であるとか『女ざかり』を読んでも「ふーん」という感じで「頑なに舊假名を使ふ作家」という印象ばかりが強かったし朝日新聞で連載の「袖のボタン」という連載も「朝日新聞だと旧かなを使はないのかしら」と思う程度であったが昨日の「歴史の勉強」という一文は立派。西班牙のフランコ政権が弾圧と腐敗で名を売ったにもかかわらず、またフランコがカリスマ的魅力もない人物だったのに、なぜ1938年から75年まで40年近くも独裁政権が維持できたのか?という疑問に答えはいろいろあろうが丸谷先生が印象に残るのは「フランコに先立つ歴代政権(プリモ=デ=リベラ軍事独裁、第二共和制、人民戦線政府)に比べればフランコ独裁のほうがまだマシ」と国民が感じたから、というもので、この話から丸谷先生は戦後日本の自民党の長期支配に目を転じる。「さほど有能でもなく、まして清廉では決してない」自民党がなぜ長期政権を担うのか。少なくても戦前の軍国主義に比べればかなりマシ、で、戦後「自民党のもたらした平和と繁栄、基本的人権言論の自由、民主主義と男女同権が十数年間(あるいはそれ以上)にわたる貧困と耐乏と恐怖の思い出のせいでぐっと有難いものになる」と指摘。しかし問題は「自民党のかなりの部分がこのことに気づいていない」ことで「自分たちの成功を分析する能力に欠けて」おり「逆に、何かというとかつての国のありようを懐かしむ傾向」で
たとえば愚かしい侵略戦争だったものを言い繕おうと苦心するし、詫びるしかなくなると意味不明の言葉づかいをする。戦争の犠牲者に哀悼の意を表する集団としては靖国神社しか思いつかず、若者たちや娘たちの倫理と風俗を憂えるとき、拠るべきテクストとして持ち出すのは教育勅語である。言論の自由を歪む野蛮な行為(これは加藤紘一さんの自宅放火など指すのだろうか)を咎めようとしないのも、心の底ではあの種のことをよしとしているせいか。とにかく歴史の勉強がまったくできていない。
とかなり辛辣。企業の代表者が不祥事などで低頭しているののも内部告発やリークなど封建的=家父長的な義理より公共の利害を尊ぶ倫理観の現われ(国民のモラルの向上)、文学でみれば女性作家の活躍、などを挙げ、明治以降の日本の近代化から見れば
一九四五年八月にはじまる変革は、日本の近代という世界に誇って差し支えない仕事の仕上げに当たるもので、それがかなりうまい具合に行っている(略)。日本人は六十年がかりで成果をあげている。「美しい国へ」などと言って昔にあこがれ、もしできることならタイムマシーンに乗って旧憲法のころの日本に帰りたい人たちには、見えないに決まっている。
と結ぶ。積極的な戦後日本の肯定。見事。

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