富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-12

一月十二日(金)人民元中国人民銀行の基準値がUS$1=7.7元となり香港ドルのHK$7.8超え価値逆転。早晩に天后。天后廟に拝す。中環。久々にフィルムカメラで(どうも「銀塩」と言うのが苦手。鮨屋で「銀塩、握りで」とか言いそう)写真何枚も撮る。ライカを持って、さすがにムッシュ木村のように「粋なもんです」と迄はとても言えぬが気持ちは飄々と街を歩く。写真家の田村武能氏が語っているのは木村伊兵衛という写真家は「気に入った被写体を見つける。それでも特別な行動はしない。だが、その人物がどの辺に来た時に、背景がどうなるか、瞬間に頭の中で計算して、これぞという時にシャッターを切る。それもせいぜい、二、三枚であり、追いかけて行ってもう一枚などということは論外である」ことであり、76年に第1回木村伊兵衛賞を「村へ」で受賞の北井一夫氏は木村伊兵衛の撮影を「遠くに人がいると、大体狙いをつけて、何となく知らん顔してその人のそばへ行く。そこでカメラを持ち上げて、パッと撮ったら、すっと通り過ぎる。ほとんど1カットで決めていました」と本当にムッシュ木村の動きが目に浮かびそう。数年ぶりにColorsix Laboでフィルムを現像に出す。値段表見ると、驚く勿れ、ネガから印画紙への手焼きプリントは4Rでカラーが1枚あたりHK$15、白黒がHK$16と、もはや手焼きは素人には気軽ぢゃないどころか手の届かぬ領域。反面、フィルム写真もデジタルプリントは恐ろしく廉価で、また、フィルムからのスキャンは1ロールあたりHK$30でCDに焼かれる。フィルムカメラまでどんどんデジタルの世界に取り込まれている、と実感。蘭桂坊通り抜けると歓楽街の一等地にPeninsula Pharmacyという薬屋あり。英語名はPeninsula Pharmacyだが日本語で小さく「ペニンスラホテル薬局」と。ペニンスラホテルの名を借用して観光客騙し土産物売るのは商法としてわからぬでないが薬局とは。ペニンスラホテルといえばチョコだの紅茶で、薬局じゃどうしたものか。勝手に「ペニンスラホテルの萬金油」だの「ペニンスラホテルスパのオリジナル白花油」なんて売っているのかしら。いずれにせよ蘭桂坊のど真ん中じゃペニンスラに騙される観光客も多からず。家賃の高さ考えると水商売以外でこの歓楽街で商売は厳しすぎないか。FCCのバーでステラアルトワ麦酒小一杯、ハイボール二杯。地下鉄で西湾河。電影資料館で「香港の丹波哲郎」と言えばいいか、俳優、石堅の映画特集ありZ嬢と参観。まずは石堅が往年の名優・喬宏らと共演の喉飴RicolaのテレビCMが三、四本流れる。どうも石堅と喬宏では喉がすっきりせぬどころか痰が搦みさう。放映の最初はRTHKの社会派テレビドラマ「獅子山下」から「漁家」という石堅が香港仔(アバディーン)で水上生活する蛋民家族の親父演じる物語。1970年代とはいえ香港仔で水上生活の船の間を縫って泳ぐ子どもらをカメラが写す。今よか海水はきれいだったのか、だが生活船からの生活排水やエンジンの重油などかなりであったはず。漁業をしながら家族養う健気な父、家族の誇りの勉学に長けた息子、だが息子は家族ためと大学進学をあきらめ就労すると言って聞かず、の物語。続いてブルース=リーの龍爭虎鬥(邦題、燃えよドラゴン)見る。少林寺破門され武術の島を根城に阿片など密造する悪の親分「韓」が石堅の役。「燃えよドラゴン」が73年だったか日本でブームとなった時に当時まったくカンフー映画に興味なく見もせず、ただしテレビでは何度も観てDVDも見ていたが、やはり映画は劇場での上映にかぎる。ブルース=リーの動きがスクリーンだからこそ、尚更、端正に映る。武闘シーンもすごいが、この類い稀な俳優のふだんのシーンの視線、指や四肢の動きに見惚れ、極端な演技の造形に「逝っちゃった」神懸かりすら感じる。映画跳ねて西湾河の太安樓、泰式小食館に鳳爪、トムヤンクンスープの牛?河粉を食す。
防衛庁防衛省への「省」格、軍国主義復活と左翼が非難する以前の問題として、省舎玄関の「防衛省」という看板、あの字の下手さはどうにかならぬものか。時の初代大臣が揮毫しなければならぬものなのか、防衛庁時代の看板に比べ遜色かなりあり。「防」の字は三つの文字のなかでは「まだ」マシ、「衛」は画数の多さと形からして素人でも書きやすい=それなりに上手く見える字のはずが「行人扁」が楷書なのに縦が内側に撥ねていたり、「省」の字も「少」の画数が一つ少ないと読める。こんな拙い字の看板で我が国の防衛は果たして大丈夫なのか不安。字が下手なのは仕方ない。下手なら誰か上手い人に書いてもらえばいいだけのことなのに。
▼唯靈氏が信報に書いているが、尖沙咀、油麻地、旺角の九龍一帯を指す言い方に「油尖旺」というのがあり、南の半島の先端から遡れば「尖油旺」であろうし逆なら「旺油尖」なのに、敢えて「油尖旺」なのか。はっきりした答えはないが、考えてみれば、一つ認識しておくべきこことは、今でこそ尖旺角と旺油が賑わうが、数十年前は油麻地が九龍きっての繁華街であったこと。佐敦道波止場で香港島と結ばれ、渡船街(Ferry St)一帯が船への貨物の集積区、船から荷があがると油麻地で取引され、と当時の活気。尖旺角は軍港や警察など植民地的であり旺油は緑多かった由。
▼劉健威氏が信報で、数日前の蘋果日報が一面トップで「一級古蹟變淫窟」と旺角上海街624号の八十年の歴史ある「唐樓」の樓上が買春宿になっていること報道に「バカな記事」と反論。香港でも稀に残る古い形式の唐樓でこの上海街の他の九棟と一緒に香港政府古物古蹟辧事處から「一級歴史建築」に指定の建物。記事では歴史建築が淫売宿となっていることに識者が惜しみ、政府民政事務局は個人所有の不動産ゆゑ介入できぬ、と発言。劉兄曰く「歴史建築だと淫売はできぬのか?」と。香港で最近、スターフェリー波止場の解体などで語られるが、何が「歴史」で何が「集体記憶」なのか。ノスタルジーが大切なら、香港が民国時代(戦前)で最も大切なノスタルジーは「塘西風月」ぢゃないか、と劉兄は語る。塘西とは西環石塘咀の妓寨(玉ノ井の如き私娼区)であり淫売は香港の歴史の文化の一部のはず。時代とともに淫売や風俗業の形態や場所こそ変われ、それが今では旺角?蘭街から上海街の一角に集積される。歴史的建築から淫売業追い出して建物保存すれば歴史であり文化なのか、と。御意。
▼まだまだ続く中村歌右衛門主演の新派「江青女史」の芝居。久が原のT君が忘れちゃ不可ないのは「杉村春子宋慶齢山田五十鈴宋美齢」と。確かに。これほど宋姉妹の似合う大女優はいない。紅衛兵の女幹部役なら森光っちゃんも使える鴨。中村伸郎孫中山、東野栄治郎の蒋介石森雅之張作霖……と並べると、ほんと既にどこかで芝居になってそう。昔の歌舞伎座ではこんな時事ネタ新作は日常茶飯の由。乃木神社鎮座記念だかに、松居松葉作「乃木大将」。自害の場まで克明に付いた芝居で大入り満員。二代目左團次の乃木大将に五代目歌右衛門の静子夫人。想像するだに凄絶。

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