富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-08

一月八日(月)早晩かなり久々にジムで有酸素運動。実に十月朔日以来。帰宅してドライマティーニ二杯。NHKのNW9で連休の終わり、正月の海外旅行からの帰国ラッシュ報じ海外旅行について会津の男、柳澤君が「海外旅行は昔は海外に行くことが目的だったが今はその中身なんですね」と語る。何気ないコメントだが、昔から海外旅行の中身にこだわる人もいれば今だって「海外に行く」ことが目的の重要な一つであることに変わりなし。空っぽにコメントばかりが横行。財政破綻夕張市で成人式の予算が前年からの繰越金1万円だけ、で夕張の若者らが自力で成人式開催。柳澤君も感無量で言葉もない様子。「自衛隊イラクに遣る予算はあっても夕張で成人式すら出来ないのでしょうか?」くらい言ってコメンテーターだろうに。『世界』十月号ようやく読了。『世界』に「パリ通信」ながく連載の藤村信氏が昨年八月に巴里で逝去されていた由。享年八十二歳。松山幸雄氏による追悼の一文で知る。「パリではミッテラン率いる社会党が……」といった毎月の巴里通信に「巴里、巴里と、巴里だからいったい何なんだ」と多少の不快感もあれ、韓国からの「TK生の手紙」と並び当時の『世界』では欠かすことなく読み続けたもの。藤村氏が中日新聞で1967年に巴里特派員となり70年より同紙嘱託で90年には同紙と東京都新聞の欧州駐在客員という立場で巴里にジャーナリストとして住まい続けられたことは日本の新聞社では「通常はありえない話」と松山氏の言う通り。松山氏とあった藤村信が、仏蘭西は米国嫌いの印象あるが巴里の地下鉄にフランクリン=ルーズベルト站があるように先の大戦での米国への恩義を表わす気持ちがある。日本に周恩来站がありますか?、と。御意。
▼昨日の蘋果日報で陶傑氏が香港のバブルの如き好景気と中国市場拡大について書く。外貨保有がUS$1兆と世界一の貯蓄大国の中国はクレジットカード所有者はまだ二千万人だと思うと十三億人の市場にまだどれだけ潜在的内需があるか、はおって知るべし、だが、今でこそその中国の市場開放で恩恵得る香港が、今後どのようにその存在価値を維持できるか。陶傑氏は法治、秩序、理性と公正を挙げる。疫病があれば情報が秘匿されず自動車の轢き逃げは当たり前でなく公共医療が整備され医者が手術前に巨額の費用を請求せず動物園では虎が子牛を捕らえて喰う表演を見せず……そういった「価値が」(本来なら当たり前のことだろうが)中国にとって「香港はマシ」と思わせるだけの価値がある、と陶傑氏。
▼シカゴ派経済学の奇才でノーベル経済学賞の候補と称され香港大学経済学院でながく教鞭をとり「米国シアトルでの贋骨董品販売や巨額の脱税で追徴受け刑事裁判でも有罪となりインターポールの指名手配受け中国国内に逃亡中」の張五常教授が珍しく週末に香港電台(RTHK)の取材受けたそうで新聞がそれを取上げる。今日の信報にかなり詳細にわたりインタビュー内容の掲載あり。いくつか書き写せば
・香港での消費税導入は反対。「北上」して深?での消費増やすだけで香港の小売市場にとっては自殺行為。
・香港経済にとっての政府による積極的不干渉主義はSir Dolandに言わせるまでもなく数十年前に公共住宅提供と居住費抑制、公教育推進などの大規模な推進の時にすでに不干渉など終わっていた。
フリードマンが見たのは戦後二十年の香港の高度経済成長期で、人口が十倍になりながら高度経済成長遂げたこと市場主義として絶賛したが(シンガポールは同時期に同じような経済成長あったが人口は二倍に増えたのみ)、深?は二十年で人口が30万人から1450万人に激増しており深?の経済の奇跡は香港以上。
・深?の経済規模や貿易量は香港を凌ぐ勢いにある。但し香港が例えば英語の高い水準などで内地を引き離してはいる。それでも香港政府の政策に今後、柔軟性がもたられるかどうか疑問。
・60、70年代に香港の軽工業中心として産業発展は中国に大きく貢献しており、香港がなかったら今日の中国はない。
ノーベル経済学賞は確かに80、90年代初頭にかけ自分がかなり近い位置にはいた。しかし経済学賞の対象が数理経済学に向い、理論経済学である自らは遠のいた。
・(香港に戻りたいか?という質問に対して)そりゃ戻りたい、が、そういうことは尋ねないでほしい、と。

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