富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-12-30

十二月卅日(土)快晴。ネットの香港から日米への不通もここまで長引くともう慣れてくるから不思議。見るものを見れない、という不便はあるが死活ほどの問題でもなし。寧ろ年末にたまった雑誌など読むのはちょうどいい機会かも。EpsonR-D1sで唯一の問題は電池消耗。ライカのレンズと一緒にいい仕事をするのだから電池の消耗が著しいことも納得できるが(理由になっていないか……)満タンに充電した電池でもちょこちょこと一時間も撮っていると(撮影した画像の再生を何度もしているからだろうし、電源のオンオフの所為もあり)電池のインジケーターの針が振れ始める。ずっと撮影を続けていたら半日保つかどうか。でEpsonのサービスセンターに電話すると充電電池の在庫がある、というので早速、九龍バスの誇る102路線のバスにのり九龍湾に向う。土曜日の昼前にのんびりと暑いくらいの青空で風景眺めながら新聞など熟読もしつつ小一時間のバスの旅。充電電池を入手。バスで深水?の欽州街。ずいぶん久しぶりに鴨寮街を歩く。旺角を香港のアキバと言う人もいるが深水?鴨寮街こそ秋葉原。電気関係のパーツと中古オーディオやガラクタなどが路上と軒を連ねた店々に並ぶ。拙宅のウォシュレットの変圧器(銅製品は日本製で100Vのため代理店から変圧器共々購入)が時々唸るので開けてみると変圧器の変圧コイル部分固定するネジが一つ外れており(たぶん最初から付いておらず)その、かなり短くて細いネジと留め金を探すとネジのサイズでM8というものであった。ついでに変圧器の電源部分のスイッチ部品も購入。オーディオでは真空管のアンプが欲しいところだが「ライカ散財」で音響どころに非ず。医局街から太子(Prince Edward)に向い歩く。深水?に南昌街というとても道幅の広い通りあり。今では遊歩道と公園になっている通りの中央分離帯は十年くらい前までだったか臨時市場あり。しばらく前の蘋果日報で南昌街の歴史の謂われ紹介の記事あり。陳南昌(1900〜1971年)という人あり。広東省新會の人。十余歳で父に従い渡豪。新會は江門、開平に近く広東省では海外移民が盛んな地なのだ。豪州で建築を学び三十年代に香港に戻り外資系の建築会社で建物測量師として働く。1933年には現在の深水?付近で不動産に手を広げ1940年に羅桂祥という人と合弁で維他?(Vitasoy)創設。英語が流暢に話せる陳南昌は自らが土地を獲得していた深水?地区で地元民の福利に積極的に援助の手を差し伸べ地域の有力者となり、戦後、大きな運河のような用水路を埋め立てた大通りに南昌街という名前が付けられる。地図で南昌街を見ると深水?から石?尾の公団住宅街を通り抜けぐるりと西にまわりこみ大窩坪、獅子山の麓まで南昌街が延びる。これがこの巨大な用水路の跡地であることは明白。1930年代当時、なぜこのような一人の若者が深水?の広大な土地を買収できたのか、は地図を見たり歩いたりすれば一目瞭然で、ここはBoundary Street(界限街)の外側。英国にとっては租借地。で散歩は続きBoundary Streetを九龍側に渡ると、ふと茘枝角道から楓樹街(Maple St)というなかなか美しい名前の通りを入ると突然、広い幾何学的な通りの両側にほぼ同じ高さのモダンな集合住宅が並ぶ一角があり。なんじゃこれは?と驚くほど五十年代的な現代建築。初めて歩いた、このSycamore Stは詩歌舞街と名前はずいぶんと楽しそう。地図で見るとBoundary Street(界限街)、茘枝角道、塘尾道、通州街、大角咀道に囲まれた亀甲のような一角は明らかに都市整備計画に基づいた集合住宅地の建設で、それがBoundary Street(界限街)の境界に沿ってあるところがニクい。当時、旺角には花園街だの西洋菜街、通菜街という名前が残るように、歴史家の高添勉君の話では、かなり緑地の多い一帯だったそうで、この住宅地も英国の田園都市のような発想の流れを汲む高層団地計画だった?などと想像しながら散歩は続く(実際、帰宅してから五十年代の市街地図で確かめると五十年代、まさにその一角(角が削られておらず当時は見事な大三角形)が開発中で道路に名前もついておらず)。太子(Prince Edward)に入る。戦前から上海にあり戦後、香港に出てきた浴徳池という古い風呂屋も十一月初めだったか、で閉業。建物取り壊す寸前で内部の解体が始まっており、ちょいと闖入して工事作業中のオヤジに怒られながら写真撮影(このへんの写真は日剰には上網しておらず。Flickr!の写真集をご覧あれ)。昼もだいぶ遅くなったが、永合隆飯店で叉焼焼鴨飯。美味至極。この店、豚、鵝鴨、鶏まで見事に焼臘物を供するが青物など油菜も何もないのが香港でも珍しい。それでも酒は出す。オヤジたちが昼間から乳豚の皮肉だのを肴に酒をひっかけているのがいい。帰宅してウォシュレットの変圧器の修理。代理店を含め他人に頼むより(冷房と瓦斯、水まわりを覗けば)簡単な電気関係の修理など自分でやったほうがよっぽどマシな場合多し。香港電影資料館でZ嬢と待ち合せ早晩にトム=ハンクス主演のThe Terminal(2004年)を見る。電影資料館では今月から来月にかけて移動空間(Moving Spaces)と題して、映画撮影のセットや空間美術で魅力ある映画ばかりを集め放映中。かなり面白い企画。紐育のJFK空港舞台にしたThe Terminalも当然、その内の一作。展覧スペースでは映画セットに関する展示もありThe Terminalのセット模型も現物あり。見事。近くのコンビニで焼き立てのガーリックトーストと180mlの赤ワイン購い空腹を満たし、続けて香港B級コメディ映画の傑作「92 黒?瑰対黒?瑰」を見る。SARSの最中の香港映画祭(2003年)でマスクした観客わずか七、八名で見て以来。梁家輝(トニー=レオン)のカルト的な演技秀逸。かつての香港のB級アクション映画へのオマージュ。「くだらない」ということに徹した傑作。西湾河の太安樓G階商場にある泰式小食館でタイ式海鮮河粉湯、食す。ほんとにバンコクの市場にいるのでは?と錯覚するような空間。それにしても太安樓、夜遅くなってからの屋台の食べ物屋の賑わいは香港でもガサツさで特筆すべきものあり。いつまで「放置」されるのか期待。帰宅してPowerBookを立ち上げると我がヱブや米国のサーバーに接続可。ちょっと接続の速度は遅いのでどうにか迂回路でも出来たのか。「はてな」は読めるが更新はできず。慌てて26日からの日剰と画像を上網、深夜に至る。

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