富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-12-31

十二月卅一日(日)快晴。朝八時半?湾地鐵站にアルピニストO氏と待ち合せ。O氏は深?の福永に住まわれるが朝の六時五十分にタクシーで皇崗、香港に入り八時十分過ぎには?湾に到着の由。交通方便まことに驚くばかり。二人でタクシーにて?錦凹の峠。MacLehose TrailのSection-9に入る。この最後の2段終えれば余がこの秋に始めたMacLehose Trailの100kmを7回で踏破。但し本日のコース自称健脚二人組にとって延々続く混凝土道「つまらない」と元?古道から圓?郊遊徑に入る。見事な渓流、群生する蝶、竹林は竹の香りも芳し。三時間余歩き深井に向うと深井の集落の山あいに突然「廃墟愛好家は垂涎であろう」宿舎のような大型建築も含む、どこか周囲から隔絶したような鄙びた安部公房が好きそうな」集落あり。地図で確かめると深井商業新村と云う。「なによ、その名前」と赤瀬川原平的に探険すると、その高層の建物は香港の紡績業をかつて代表した九龍紗廠(Kowloon Textile)の職員宿舎(すでに閉鎖)で「商業新村」は香港に幾つもある郊外の密集型集落なのだが「商業」という名前が奇妙。九龍紗廠の宿舎はあれば、深井といえばかつてはサンミゲルの香港麦酒工場もあり、嘉頓?包の製パン工場もあると思えば従業員の住み着いた新村なのかも(香港島で薄扶林村がDaily Farmの従業員の住み着きのように)。裕記焼鵝飯店。焼鵝、鵝腎に皮蛋、という「成人病コース」堪能しながら故きを温ね、でサンミゲル大いに飲む。佐敦まで赤ミニ爆走二十分。ジムで一浴して帰宅。Z嬢と西湾河の蛇王福で蛇羹と糯米飯。大晦日に長寿願い蕎麦を喰うなら蛇も一緒か、と笑う。明記糖水で緑豆沙。昨日に続き電影資料館でムルナウの『サンライズ』観る。去年だったかこの電影資料館でムルナウ特集ありさんざんムルナウの今でいえばカルトっぽい作品を何本か看たが独逸から米国に渡ったムルナウがハリウッドで製作し1927年のアカデミー主演女優賞、撮影賞受賞の映画。昔から「看たい」と思って機会なく今日に至る。ストーリー的には陳腐でもあるが米国で勃興の映画「産業」に聖林という場所でムルナウが「モーションピクチャーとはこういうもの」と教えた、と思えばいいか。有名な、遊園地でのシーンは確かに圧巻。遠方の壁の三階にいる人たちまでがそれぞれ演技してキャメラの精巧なレンズがそれを写し出す。帰宅途中に太古城に開店した無印良品で引き出しの整理用ケースなど購い帰宅して突然、引き出しの中など片づける。ついでに本を積みすぎて本の落ちてきた書架も少し整理、のうちに年を越す。ところでNHKの紅白の冒頭を看たZ嬢の話では「今年の紅白は<家族の絆>を」云々と宣ったそうな。本来、世界中、どこでも「当たり前」にある家族の絆などというものを、いちいち首相だの国会だの政府が口にしてマスコミが囃し立てなければならぬ悲劇的現状。本来そういうものぢゃないことすら認識できず「そう、家族が大切」とイメージ的にだけ共鳴。純朴さ。マスコミが語る話ではなかろう。で紅白を家族揃って看ているのかしら。家族でみんなバラバラだったり。ふと、子どもの頃に大晦日にふだんにも増して忙しく仕事終えて帰ってきた父母、紅白ももう途中から、で、余が「なぜ紅白を看なければならない?」と看ずにいたらふだんは怒ったことのない父がとても怒ったことを思い出す。父も当然ながら「なぜ紅白を看なければならないか?」ということに正しい答えなどない。今にして思えば父にとって晦日ならではの一家団欒の時であり、それを息子に拒否されたことがどれだけ不快であったか、自らの自我的判断は別にして付き合うのが大人だろう、と思うが当時は多感な少年時代。どうであれ年末のテレビ番組で「私たちのとって一番大切なのは家族、その絆を」なんて宣われ人々が「ほんとそうよね」なんて看ているのは世界中で日本だけのはず。この「気持ち悪さ」「精神病理的状況」はほのぼの「ほんとそうよね」している場合ぢゃない。教育基本法も改定し次は憲法。戦後の古き良きものが悉く蔑ろにされてゆくのだから紅白歌合戦もやめていいのでは? これは存続が必須なのは、紅白に期待されるものが「国民の統合」であり「家族の団欒、絆」だからなのかしら。一昨日だったか洪清田氏が信報で「現代政府/国家的経済角色」という一文を寄せて語るに、社会発展モデル的にみれば、経済が宗教や軍事政治を超え社会変革の最も重要な要素となり、それにより社会は小農社会から市場経済型の資本主義になってきたのだが、と(社会経済学的には常識的な)概念を紹介し、西方社会では、この経済発展に科学、民主、法治などが連動して発展したのだが、目をアジアに転じると、として、主題は中国がいかに小農社会から市場経済型の社会に変化するか、なのだが、その考察の中で、世界の主要経済大国のなかで英国、仏蘭西、独逸などに続き資本主義化を第一次世界大戦後に迎えた日本は本来、解消されるべき小農集落社会を発展的解消することもないままに経済成長を続け、その結果、未だに「日本のアイデンティティ」などに拘っている、と指摘あり。御意。余は幼き頃から何より納得がいかぬのは、何も解決どころか考察すらせぬままに、とにかく年末になれば「今年もいろいろありましたが新しい年は」と伊勢神宮遷宮の如く勝手に御破算してしまい年があければ、さも何もかも新しい門出、と気分一新してしまう、この甘さ。しかも明治でさっさと太陽暦でそれをやってみせた優柔不断。<家族の絆>のために何が必要なのか、敢えて言うとするならばだ、必要なのは<個人の自立>だろう。個人の自立なくて近代の家族の絆などある保てる筈もなし。全く以て個人が自立もしておらぬ「集落」が、現代のこの社会で家族の絆など保てたら、ちゃんちゃらをかしくてヘソが茶を沸かさぁ。

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